月別アーカイブ: 2015年9月

毎日

 

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起きて、鏡の前に立ったときに、顔もむくんでいなくて髪型もほぼセットしたみたいに綺麗にまとまっていると、寝ぼけながらに「今日って最高の1日〜」と思う。

そして次の瞬間、鼻の下に赤いニキビがぽつりとできてて、ちょっと間抜けな自分に「オーマイガー!」となる。

気を取り直して着替え、食卓で味わう湯気ほやほやの温かい味噌汁がなんとも美味しく胃にしみるとき、「生きててよかった…」と実感する。

いつだって今日この日の自分、今この瞬間の自分。

そんな毎日、それが毎日。

 

マイナスはプラス。

kajak in kanada

 

内容がプラスかマイナスかにかかわらず、何も経験しないより「ある」ことは貴い。それだけで。どんな出来事も経験も、いずれも自分の人生上の、糧として種として必ず残る。

どのようなかたちで記憶に刻むかは、自分次第。

つらく悲しい出来事でも、それを糧に大切ななにかに気づき、

自分自身の在り方や人間関係の築き方を見直すきっかけになるかもしれない。

そうしよう、と決めた瞬間に、きっとそうなる。

時間はかかるかもしれないけれど、いつかきっとそうすることができる。

 

最近気づいたのは、まったく経験しないよりは「ある」ほうがよいのは、ネガティブな経験だけでなく、一見マイナスの人間関係にも通じるということ。

わたしは、おかげさまで、家族をはじめ、生来ひととの縁には恵まれているほうで、いい意味でもわるい意味でも世間知らずだった。

自分なりには、悔しい思いも悲しい思いもしたし、いろんな出会いを通じてそれなりに経験も積んだつもりになっていたけど、今思えばまだまだ知らなかった。

それがここ数年、不思議と、今までなら付き合いがなかったような人たちと出会い、いっしょに過ごす機会があり。それなりに楽しかったけれど、なにかが違う。ずっと感じていた。

ある日、「なんだか、前よりまわりにネガティブな人が増えた気がする…」そんな気づきを得た。

それを受けて、先ずわたしが思ったこと。

「日頃のわたしの行いを見直したほうがよいのかな?」(見直さなくちゃ)

「わたしの、(その人に対する)コミュニケーション方法がまずいのかな?」(変えなくちゃ)

「自分が無意識にネガティブになっているのかな、大丈夫かしら」(気をつけないと)

 

何かうまく進まないとき、そのままでいることは不安になる。

そんなとき、自分自身を省みることはそれなりにはいいことだと思う。

でも、わたしの場合、結論からいうと、上記どの心配も杞憂だった。

「このひととの付き合いを通じて、また何か1つ学べる」、それだけでOKだった。

だって、見直したし、変えてみたし、気をつけたけれど、変わらない相手は変わらない。

気分屋な人もいるし、わがままな人もいるし、どうでもいいことを気にする人もいる。(他のひとから見たら、わたしもそう映ってるかもしれないけれど。いや映ってないかな〜。←どっち)

自分が選べる縁は自分の意志でいくらでも変えられるけれど、学校の同級生や仕事上のパートナーをはじめ、不可抗力で付き合わざるを得ない相手もやっぱりいる。

相手が変わらないなら、自分を変えよう!(ねじりハチマキ)

そう思って自分を努めて変えてみたけれど、やっぱり相手は変わらない。

そのうち、なんだかあほらしくなってきた。なんだこりゃ!なんのこった!(大の字)

で、いちいち自分を省みるのをやめてみた。

すっかり気が楽になったわたしに、ある日おりてきた気づき。

「そうか、ネガティブな人を通して、いろいろ考える機会をもらったんだな」

それだけ。経験はただの経験、いちいち反省しなくていい。

会わ「ない」に越したことはないかもしれないけれど、そのひととのご縁をもらったということは、何かしらの気づきが「ある」ということ。

そして、あとからその何かに気づいてその時点で省みれば十分で、その過程のなかでいちいち重く受けとめる必要はない。シンプルに生きていればいいんだなあって。

 

今日のひとこと:

こうやって書いてみると、わたし、意外とまじめなんじゃ!(自画自賛)

まなざし

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ふーー。はーー。今まさにこの馬のようなきもち。

毎週休日出勤の日々も、イベント終了してここでひと段落。ひと安心。

ちなみにこの写真は、家にあった冊子に載っていた馬です。出典元わからず転載失礼します。しかしかわいいわ… 目が合った瞬間とろけるわ…

(どうでもいい補足:上記語尾の「わ」は方言調。静岡?東北かな?)

というわけで、あくびがとまらない今日。

風に吹かれながら、椅子やソファの上にあぐらかいて、あくび後の涙目のままぼーっとする晴れた休日最高である。

 

それにしても、この数ヶ月とくに感じること。

ひとの「まなざし」ほど正直なものはない。

名は体を表す、しかり、目はこころを表す。

目に色がついている感じ、というのだろうか。

怯え、不安、嫉妬、怒り、悲しみ。
濁り、淀み、うつろ、揺らぎ。

安堵、希望、喜び、優しさ、幸せ。
純粋、聡明、深遠、煌めき。

本当「こころの窓」だなあ。

だから、「目の色が変わる」という表現もあるのね。

はあ日本語すごい。(口癖)

 

そして面白いのは、だれかのまなざしにこころが宿る、

つまり目の色が外側から見えるということは、

言い換えると、

自分(主体)が世界をみつめるとき、

その時、その瞬間の、自分の心のフィルターを通して外の世界を眺めている

ということでもあるわけで。

悲しいことがあった日、世界はなんとなく暗く見えるし、

ハッピーな出来事があった後は、世界はぱっと明るくなる。

そのときそのときの、心模様で、同じできごとでも見え方や感じ方がまるっと変わる。

たとえば、わたしは最近忙しかったので、退社後家に到着して「ただいま〜」とずるずる廊下を歩いていたら、母に「ずるずる歩いているわねえ」とケラケラ笑われたのだけど、

いつもなら気にならないし、むしろ「ほんとだよねー」と一緒に笑うのに、その日はなんだかいらっとした。

そのとき、「ああわたし、疲れているんだな」と自覚。

逆に、朝起きて、ベランダに出て、富士山がぽっかり美しい姿で現れているとき、そのどどーんと雄大な姿にインスパイアされて、

その後駅に向かうまでの道々、木々も花も、ひとも犬も、「わたしたち小さいけど、今日も生きていますね〜」と声かけたくなるぐらい、謎に心が広くなったりする。

まあこれはちょっと極端だけど。でも実話。笑

 

わたしたちが見ている「世界」は、自分の心が映し出しているもの。自分自身の「視界」。

事実はたったひとつ。別に色も付いていない。

それを眺める自分自身の気の持ちようで、いくらでも彩りが変わるんだなあとなっとくする今日この頃。

そして、そのことを知っている、つまり、普段から少し意識しておくだけで肝が座る感覚もおもしろい。目の前の出来事とそれを受けとめる自分の感情を、ある程度客観視できるので、あまり動じなくなるというか。

そのへんはまた、はっきり分かってきたら書けたらいいな。

 

今日のひとこと:

なにかひと段落すると、無性に掃除がしたくなるのはなぜだろう?
掃除機がけ、トイレ掃除、洗濯物たたみ、茶碗洗いを無心にやってしまった。

 

はじまりの日

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はじまりの日。

おっこれ楽しそう、とか、いいねやってみようかな、とひらめいた瞬間はなんとなくきもちがいいけれど、

はじめたいことを、一歩、行動に移せた瞬間は、もっときもちがいい。

木が空に向かって、高く広くその手(枝)を無心に伸ばしていくように、

自分の手をまっすぐに太陽にかざしてみたら、直に温かさをはっきりと感じられた時のようなきもち。

 

思いはそこに生まれただけでいとおしいし、

願いは心で大切に育むだけでも、すでに貴い。

でも、思いはひとに伝えてこそ、はじめて響いていくものだし、

願いを胸に、実際に動いてみて、はじめて叶いはじめる夢がある。

 

日々、生まれる思いを、どこかのだれかと自由に共有してみたい!

そんな衝動から、なんとなくブログはじめてみました。

どんな思いを、どんなことばで綴ることができるだろう。

わたしは「なまもの」。そこから生まれる思いもことばもなまもの。

だからできるだけフレッシュな状態で、素直に感じたままに届けられたら。

 

はじまりの日。はじめる日。はじまった日。はじめまして。

どうぞよろしくお願いいたします。(深々)

 

今日のひとこと:

「はじまり」の日、「たびだち」の日。
語感が似ていて、込められた意味も限りなく似ている。すごいなあ日本語。