月別アーカイブ: 2015年11月

成城三長老を想う

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今日は、赤坂に外出。

赤坂見附の駅を出ると、目の前には銀杏に彩られた道が。

鮮やかな黄色に、一気に目が醒める。

 

ふと、少し前まで住んでいた、成城の街並みがフラッシュバックする。

大銀杏のおじいさんたちは、お元気だろうか。

銀杏並木の中でもひときわ目立つ、三本の木があって、

街を見守るように、ふわっと枝を空にめぐらしていた。

ふわっと、だけど迫力もあったから、ふぁーっと、という描写のほうがしっくりくるかなあ。

友人のひとりは、「トトロが好きそうな木だね」と言ってた。わかる。

そんなわけで、自分の中では勝手に、成城三長老と位置づけていた。

 

風が吹いて枝が揺れる姿は、長老同士の穏やかな会話。

雨が降って水をまとう姿は、各自で安穏と沈思黙考。

日が差して光を浴びる姿は、今この瞬間を生きる歓び。

そんな大銀杏の佇まいに、いのちの輝きを見ていた日々。

 

仕事で疲れた夜も、寝不足で眠い朝も、週末のんびり散歩の昼下がりも、大銀杏のおじいさんはじめ、街の木々や草花に見守られて過ごした8年間だった気がする。

家の近くにあった若い銀杏の木も、また一段と伸びているのかな。

今も変わらず、きちんと剪定してもらっているだろうか。

郷愁感をもって思い出せる場所が、気がつけばまたひとつ。

歳を重ねること、歳月を重ねること。

 

時は移り、

今の家に向かう夜道、南の空にオリオン座がくっきり。

たとえ月が照らしてても、星座が分かる、空気の冴え具合。

もうそんな季節になったんだなあ。

明日からは師走。

あーーー、なんか、いい一年だったな!(伸びをしながら)

まだ終わってないけど。。笑

2015年は、私的には再起?奮起?の年だったので、12月は自分を労い労わる期間ということにしようと今決めた。ヨシ。

 

「レインツリーの国」

Rain Tree

 

今日、レクチャーの中で学生さんにも紹介した映画、「レインツリーの国」。

授業の後は、東京へ新幹線移動していたこともあり、

なんだか、いきおい余って、

日本語字幕が付くのは12/5(土)以降だと知りつつも、観に行ってしまった。

原作となった本のストーリーもおぼろげながら記憶もあるし、

まあとりあえず観てみようぜと思い切って。

 

この「レインツリーの国」は、

有川浩さんの同名原作小説を映画化したもの。

感音性難聴のひとみ(西内まりやさん)と、健聴の伸(玉森裕太さん)の物語。

 

顔のアップも多いし、全編を通して穏やかな雰囲気で、わりと内容はつかめた。

でも、日本語字幕付いた状態でももう一度観たいわこれ。

なんていうか、一度でも十分な充実感ではあるんだけど、

個人的にいろいろ考えることもあり、自身の内観を深めるためにも。

普段、映画を複数回見返すことはほぼほぼない人間なのにね。過去にあるのはあとにもさきにも「チャーリーとチョコレート工場」の1回きりである。DVDも買ったぐらいなぜか好きだった。笑

 

感想は、またあらためてちゃんと書くつもりだけど、

今日、観終わったあとにまず感じたのは、

生きていると、毎日、細々(こまごま)とした出来事もあるけど、

ひととの関わり交わりと、そこに息づく愛の中で生きている/生かせてもらっている現在(いま)って、それだけで貴いことなんだよあ

というしみじみとした味わい。

映画が終わって、街中を歩きながら見かけるすべてのひとのなにげない会話だったり表情だったりがなんだかほほえましくて。

今日は、日中、学生さんからあたたかさをもらい、

夜は、映画レインツリーから、なんともいえない心地よさを受け取り。

はーーーーー(大の字)(深呼吸)

 

ちなみに、個人的に興奮してしまったポイント。

伸が聴覚障がいについて知ろうと、関連の本を読み漁る場面。

図書館でも家でも映っていた一冊が、よく知っている書籍だった。

聴覚障害の心理」だったかな。

わたしの研究テーマ:きこえない人のアイデンティティについても触れている。

20歳頃のときに大学の図書館かどこかで見つけて、聴覚障害者のアイデンティティの考え方をはじめて知って。その後の自分の研究テーマの方向性づけや論考の起点となったともいえる一冊。

すぐに『あ!』と気づくあたりが、われながらマニアックである。笑

 

 

またひとつ、好きな景色が増えた。

susuki

今日は有休をいただいて、大学へ。

勉強(研究)ではなく、授業をする側として。

前日、いつものように仕事を終えて帰宅して、

うっかり父と「相棒」ドラマを楽しんでしまい、

その後22時から、レクチャー資料を作成したのでした。

 

情報のバリアフリー講座の一環として、

きこえない当事者として、きこえない人生についてわたしなりに説明。

 

その90分授業を終えた、時間最後のひとこま。

「今日はありがとうございました!」

と締めくくったわたしに対して

パチパチとあたたかい拍手をくださった学生のみなさん。

そこに、担当の先生がひと言。

「きこえない人への拍手、どうするか知ってますか?」

そして持っていたハンドマイクを胸ポケットに入れて、

両手を顔横ぐらいに掲げて

その手のひらをひらひら〜と振る。

すると、聴講してくださってた学生の皆さんも一斉にひらひら。

 

この大学でお話するのは今年で3度目だけど、

階段状になった大教室での授業は、今回がはじめて。

手前から上の段までにずらり着席した150〜200人弱の学生の皆さんが、

ちょっと楽しそうな笑顔を浮かべて送ってくれたひらひら拍手。

 

圧巻でした。

きれいだった。

なんだか、じーんとしました。

 

思いがけない素敵な景色とあたたかいきもちをいただいて、ほっこり。

すてきな機会をいただいて、またひとつ経験できて。

ありがとうございました!(大声)

続「どうでもいい」

仕事を終えて、終電に飛び乗る。

ていうか、全然終わってないけども。

そして暫くして気がつく、空腹感。

「しまったああああ、夕飯食べてない!!」

・・・疲労感倍増。

 

でも今、『終電』と入れようとしたら『充電』と誤変換したので、そうそう明日から休暇入るし充電、と気を取り直してみる。

 

ちなみに、最近はあまりないけれど昔よくやってたのが、

夕方に一旦仕事を休憩し、

社員食堂で夕飯をとり、

残業して、

帰宅し、

夕飯を食べたことを忘れて、もう一度夕食をとる

という。

ある意味離れ業だね、これは。(ドヤ)

 

そんなこんなで、仕事三昧だった今日。

昨日書いた「どうでもいい」フラットな感情を保とうと努める場面もあり。

今その場面をちょっと振り返ってみて感じるのは、

わたしも相手もコミュニケーション上の課題はありつつ、

自分自身は、以前に比べて

「おかしい」と思ったら、ちゃんと相手に伝える

ことはできるようになっているんだなと。

 

前は、相手を尊重するあまりに

言いたいことも飲み込んでしまい、

「そうですよね」「わかりました」に徹して、

あとで

「やっぱり言った方がよかったなあ」とか

「あんな風に言ってたけど、結局わたしの意見が合ってるんでは」とか

言い残したと感じることも多かった。

言い残したと感じると、それは思い残しにもなる。

思い残すと、いつまでも過去に生きることになる。

もう終わったことなのに、もったいないね。

 

でも今は、たどたどしいかもしれないけれど、

なんだかロジックがおかしいと思ったら、それとなく指摘してみるとか、

そこをしきりに気にして下さってますが、大事なのはむしろこちらだと思いますとか、

自分の考えについて、

相手の勢いに負けて蓋をせずに、

きちんと伝えられるように、なってきたような。

そしてそれは、

相手の感情に対して一線を引くことも関係していると思う。

つまり、

目の前の相手の話の「内容」だけにフォーカスする感覚が徐々に掴めてきたことで、

今自分が

何を相手から受けとめ、

何を相手に伝えるべきか

整理がしやすくなったという。

まあ、まだまだ伝え方の工夫の余地はありそうだけど、それは今後に期待ってことで。

 

はーーー

相手を通じて、自分を知る。

コミュニケーションはいつもおもしろい。

そういう意味では、ちょっと癖のある相手も新たな世界を見せてくれるわけで感謝だなあ。

まあ本音を言えば、面倒くさい。笑

あああ面倒くさい〜

 

 

しかしお腹すいたな、どうしましょう。(突然の現実)

 

「どうでもいい」

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以前から、まわりの友人知人や同僚によく言われること。

「ゆきさんって、いつもなんかテンション一定だよね。フラットというか」

「ゆきってなんで昔から全然変わらないの?」

「そういえば、ゆきが、怒ったりしてるのあまり見たことないなあ。波がないね」

などなど。

 

最近も、友人との食事中にふとそんなことを言われ。

まあ、たしかにそうなんだよなあ。

淡々としてるというかひょうひょうとしているというか。

別に愛がないわけじゃないけど、どこか冷めてるかもしれない。

なんていうか、ちょっと「どうでもいい」スタンスで世の中を眺めているかも。

かと言って、別に投げやりとかそういうわけでもなく。

 

当たり前だけど、

わたしだって人間だから、いらいらもするし怒りもする。

たまに、「はあ?」と思うような言い方をされて「あんた何様だよ」とぷんすこしたい時もある。

 

で、一時期こんなことを試してみた。(実験好き)

 

『相手が負の感情だったら、

こちらも、負の感情で応じてみる』

 

もともと相手のきもち・おもいを察しやすく、大事にしたくなる性格なので、

自分のきもち・おもいには蓋しがちなところもあるわたし。

でも、アクの強い方に対して、蓋してばかりいたら苦しくなってきた。

そこで、

我慢しないで、どんどん言いたいこといった方がよいかなあ、

と試してみたのだった。

 

たとえば、

打合せ中に、自分の意見に対してわたしが予想外の案を出して、途端に不機嫌になるひと。

表情が変わる、つっけんどんに対応してくる。

ならばと、わたしもつっけんどんに応じてみる。

たとえば、

これまで相手がやってきた施策や方法に対して、わたしがここはアップデートしませんかと提案する。

表情が変わる、わたしの説明が終わるのを待たずに細かなところを指摘してくる。

ならばと、わたしも話を遮ってみる。(がこれはだいたい失敗する。笑)

以前なら、自分がなにか悪いのではないかと、いろいろアプローチの仕方を工夫していたことを一切やめて、相手の心情やことばに応じて好き勝手やる感じ。笑

 

で、気づいたこと。

 

『負の感情は、きもちのよいものではない』

とくに自分が。

 

まあごくごく当たり前なんだけど・・・

相手が発したものであれ、自分が出したものであれ、きもちのよいものではない。

ということはつまり、

相手が負(マイナス)のエネルギーであることが変えられないのなら、

すくなくとも、自分だけでも正(プラス)のエネルギーを発したほうが、

トータルでみれば、

自分が楽になるし、きもちがいいということ。

 

 

ちょっと前のわたしは

相手に「期待する」から、いちいちがっかりしていた。

相手に「期待する」ことと相手を「信頼する」ことをちょっと混同していたな。

自分がいい姿勢やいい態度に努めれば、相手もいい反応をしてくれることを当然だと思ってたし、

実際のところ、入社当初はそんないいひとたちに恵まれて仕事をしていた。

だから、いい反応をしてくれることを自然に「期待する」ようになったかもしれない。

でも実際のところ、世のなかはそういう方たちばかりではなく。

あれ? 信頼しているひとなのに、なんか反応がおかしい。

でも、それは信頼しているのではなく、わたしが勝手に相手に期待しているだけ。

 

なんかごちゃごちゃ書いているけど、

結局は、目の前の相手は「どうでもいい」。

こう書くと言葉はわるいけれど、「どんな相手でもいい」ということ。

相手がどうあろうが、変わらない。それで、かまわない。

気にすべきは、相手の(負の)感情ではなく、相手のコミュニケーション内容。

相手がどうあれ、自分はじぶんのままでよくて、

負の感情まで受け取る必要はない。

相手が「何を言っているか」を捉えて、それにきちんと反応することに集中する。

ただそれだけ。

 

目の前の相手がなにか理解しがたいことを言い始めたり、

予想外の反応をしはじめたら、

まず「どうでもいい」と心で呟いてみる。

そうすると、不思議と、目の前に「いる」だけになる。

自分自身と相手のあいだに、そっと線が引かれる感じ。

アドラー心理学でも、「課題の分離」という考え方(理論)がある。

相手の課題まで背負い込む必要はなく、自分の課題と相手の課題は分けて考える。

負の感情をもつ相手とかかわっているとき、

自分までもがその感情を受け取る必要はない。

そういうことだよね。

 

そんな感じで、

負の反応を返すひとに対して

負の感情で呼応することは、分離ができていない、

という状況を、実験を通じて、みずから体感できたわけで。

 

今までは、

「なんかこの人ちょっと反応が変だな・・・」

と思ったら

「シャッターを下ろす・閉じる」(閉店ガラガラ)

ことを無意識にやってたけど、それをしていた意味が捉えられてよかった。

守るとか逃げるとか以前に、

自分は自分、ひとはひと、という線引きを体現しようとしていたのだなと。

こころの反応って、ちゃんと意味があるんだなあ。

 

そして、今までは気づけなかったこころの動きに気づけたので、

どんな縁であれ、経験であれ、意味があるな、と改めて。

実験ばんざい。

 

 

 

 

続報 by駐輪場のおじさん

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ふうむ。

今日は仕事中、パソコンに向かいながら

片手間にペットボトルのお茶を飲もうとして、

閉まったままの蓋に口づけする

ということを、おおよそ3回以上はやった気がする。

なんでだろう、月曜だからかな?(たぶん無関係)

 

そして、ひまわりの件続報が。

帰りしな、例のひまわりが咲いている交差点で信号待ちをしていたところ、近くの駐輪場のおじさんと目があったので思い切って声をかけてみた。

(区の駐輪場運営スタッフのおじさんです、念のため)

わたし「ひまわり、きれいですね〜。どなたか植えられたんですか?」

おじさん「そうそう、遅いけど咲いちゃった。細いでしょ!」

わたし「種を蒔いたのが遅かったんですか?」

おじさん「ううん、夏に咲く予定だったんだけどねえ。今頃咲いたねえ」

おじさん「ほら見てごらん(ひまわりと逆方向を指して)、あそこに太いのあるでしょ。あれはもう夏に咲き終わったんだよ」

わたし「ええ、同じときに植えたのに? のんびりやさんなんですね〜」

おじさん「うん、のんびりだよねえ〜」

(交差点の信号が変わり、青になる)

わたし「ふふふ、突然すみませんでした。ありがとうございました!」

おじさん「はいどうも〜。」

仕事でおじさまと話す機会はそこそこ多いけれど、

駐輪場のおじさまと話す機会はあまりないので、一瞬だけど楽しかったな。笑

おじさん、ひまわり好き人間に付き合ってくれてありがとう。笑

 

そして、おじさんのおかげで知ることができた、

土壌が弱いのに、その中でも一生懸命育っていた

この2輪のひまわりがもっともっと大好きに。

 

今日のひとこと:

それにしても、

全体的に土壌のエネルギーが弱いエリアに会社建ってて大丈夫なんだろうか(笑)、

という数年来の疑問を、ここでぼそっと呟いておきます。

いつか変わるのかな?と思っているけれど、何年経ってもこの感じは変わらず。

当たり前だけど、皇居付近とかと比べると風のまわりもだいぶ違う。

まあ、いつもの超個人的な感覚なんだけども。

そろそろ

Sleeping labrador puppy with books

今日は朝から研修へ。

学ぶのは楽しいし、相変わらず好きなのだけど。

学びの場で社外の志高い仲間と出会い、コミュニケーションするのも充実しているのだけど。

でもでも

1日机に向かって理論を勉強しているぐらいなら、晴れていたら山に行きたいし、散歩もしたいし、友だちと会っていろんな話もしたいなあという思いもむくむく。

それか、今日は雨だったからやっぱり研修日和だったのかという思いもふつふつ。

 

研究生活でやり足りなかった分野の勉強を、復職後もゆるっと続けてきたけれど、そろそろ次のフェーズに行きたいんだなという自分自身への気づき。

で、次のフェーズとは。

新たな資格をとる。

新たな学位をとる。

新たな仕事をする。

どれだろう?

全部かな?

ここにはない予想もしてない出来事かな?

 

と書きながら、ひとつ、確信めいた予感としては、

「伝える」ことを強化していく時期がきているのかなという。

それは、現職での担当施策や大学でのレクチャーなど今すぐできることでもあり、

同時に、新たなフィールドに活動の幅を広げていくことでもあり。

今までの人生に感謝をこめて。

自分がやっていくという強い意思をこめて。

 

とりあえず、12月は旅に出る予定にしているので、

のんびり風を感じながら、自分の中に新しい風を起こせたらいいな。

いまここを楽しみながら、その都度やりたいことに取りかかれば何かひらめくこともあるだろう。

 

2014年は、混沌の年だった。

過去と現在と未来とが自分の中で複雑に入り組んでいた感じ。

どこかちょっと膝を抱えてうずくまっていたところもあり。

2015年は、気づきの年。

からだもこころも「原点」に立ち返り、無垢な自分に気づいた感じ。

2016年は、歩みの年、かなあ。

なんて表現したらいいのかわからないけれど、

今感じるのは、まっすぐ前を見て迷いなく進む自分。

向かい風も吹いているけど、まあ笑顔で楽しそうなので大丈夫でしょう。(全妄想)
 

 

U理論

uma

この時季、たまらないもの。

家やオフィス、電車とかを出た瞬間の、鼻孔に沁み渡るひやっとした空気。

なんだろう、もう生きてるって感じがする。(まとめすぎ)

馬並みにふふーんと鼻の穴開いて歩く人がいたら、

きっとそれはわたしです。または同類の方。

 

最近、U理論なるものにごく軽くながら触れる機会があり。

教えてくださった方から借りた本(中土井僚著「マンガでやさしくわかるU理論」)を参照しながら、以下メモメモ。

U理論とは、米国のC・オットー・シャーマー博士が提唱したもので、

個人・グループ・組織・社会の変容のプロセスを表す理論だという。

変容のプロセスは大きく3段階:

1)ただひたすら観察する

2)一歩下がって内省する

3)素早く即興的に行動に移す

 

そしてこの3つのプロセスは「U理論」の文字通り、

左から右へ中央谷型の弧を描く「U」のかたちで表される。

中でもとくに「U」の字の左側にあたる、

観察(Uの字の始点)から内省(Uの字の底)にかけてのプロセスは意識の変容を示し、

ただ行動を起こしたときに比較すると

この観察や内省のプロセスを経ることによって、

その後の行動の質が大きく変わるのだという。

U理論の矢印イメージ、一見した方が分かりやすいので興味ある方はぐぐってみてくださひ。

 

その後の行動の質を大きく変える意識変容のプロセス、

これを、オットー博士は大きく以下4つのレベルに整理した。

 

「ソーシャル・フィールド」4つのレベル

1)ダウンローディング

2)シーイング(観る)

3)センシング(感じ取る)

4)プレゼンシング(博士の造語:プレゼンス+センシング)

 

うーんと、細かい点はあまりここでは割愛するけれど、

わたしたちは普段、必ずなんらかのソーシャルフィールド(Social Structure of Attention)を味わっていて、内面の状態のマネジメントをしている。

1から4までのレベルは、1低い→4高いで、

各レベルは固定的なものではなく、各場面に応じて変動するもの。

(なんか、学部時代に書いた論文にちょっとデジャヴ。ひとりごと)

で、4のプレゼンシングに至ると、過去の延長線上にはない大きな未来が出現するらしい。

言い換えれば、内側から何かがにじみ出たり溢れてくる意識の状態(=プレゼンシング)になると、新しい創造的な何かが生まれやすくなると。

オットー博士いわく、

いわゆるPDCAの考え方とその実践は「過去からの学習」であり、

このU理論に見出せるアプローチは「出現する未来からの学習」と。

どちらがよいわるいではなく、どちらも欠かせないもの。

  

ちなみに、わたしが今回知ったなかで、個人的に面白いなと思ったポイントは、

ソーシャルフィールド1の「ダウンローディング」。

過去の経験によって自分の中に形作られたフレームを再現している状態。

自分の意識フレームを通して、目の前の相手を知らず知らず分析している状態。

たとえば、

打ち合わせで目の前の人がしゃべっていることに対して、

『この人いつもこうだよな…』

『また同じこと言ってる。』

『この表情、わたしの話にどう反論するか考えている感じだな〜』

といった感じで、自分の思考の中で何らかの反応的会話を繰り広げる様子。

ではこのフレームを取っ払うには、どうすればよいか。

そんな脳内会話を始めた自分に気づき、『保留!』と声をかけること。

これがいいらしい。

 

実際この数日わたしも意識してみたら、効果てきめん。

どちらかというと淡々と事象を「眺める」「感じる」人間だと思ってたけれど、

けっこう「ダウンローディング」もしがちなんだなあと。

で、話し相手に対して勝手に始まった脳内会話を

『保留!』にすると、

目の前の相手の言っている「内容」にしっかり耳を傾けられるし、

相手の話をきく自分自身の表情や、内容に対して感じたことに自覚的になれる。

 

あと、ダウンローディングをする傾向のある人と話していると

その場にいる人も感化されてダウンローディングな会話を始めがち、という博士の指摘も身をもって感じた。

「ネガティブな雰囲気のする人だから、ちょい面倒だな」という自分の直感のひとつには、ダウンローディング傾向の高い相手とそれに引っ張られがちな自分という構図もあったんだな、おそらく。

また1つものごとを客観的に捉える指標を知れて、よかったよかった。

 

このU理論の大きな特徴は、

パフォーマンスを高める「やり方(how)」だけでなく

その人の「内面のあり方(what)」に注目して、

パフォーマンス発揮過程上の意識の変容に焦点をあてているところ。

ある人の行動やそこに至るまでのプロセスは、外側にいる私たちもみられるけど、

その行動を起こす力の源泉となった内側にあるものは、私たちにはみえない。

その内側に存在する「内面のあり方(what)」がどのように引き出されたのか、

そしてその状態(=プレゼンシングとその先の行動)を意図的に起こすにはどうすればよいのか、

それを解明したのがこのU理論なのだという。

 

意識の高い人が集まると、なんらかイノベーション集団と化す原理が少し分かった気がする。

意識を高めるには、やっぱりなんらか一皮むけるってことなんだねえ。

無意識の意識化、そして行動。

はーー深そうだな、まだまだざっくりとしか理解できていないけれど、

もう少し歳とったらわかってくることもありそう。楽しみ。

 

さ、寝ようねよう。

こういうの書き始めると楽しくて寝るのを忘れるところは本当昔も今も変わらないわ。

まとまってないと思うけどまあご愛嬌ってことで。

うふふおやすみなさい。(寝言)

 

実写してみた。

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うわさのひまわりくん。

今週もにっこり咲いていてくれて、

しかも傍には、かわいい相棒ひまわりさん。

 

晴れの日も雨の日も、まっすぐ生きているふたり。

一見儚げなのに、なにげに図太くてすがすがしくて。

太陽の向きなどお構いなしに、それぞれに向きたい方向を見ているふたり。

そばにいる秋模様の木が、若いっていいねえと目を細めているような気がして。

フレッシュな二人なのかな、はたまたベテラン夫婦なのかな。

にやにや考えながら、会社に向かう11月の昼下がり。