月別アーカイブ: 2015年12月

果報は寝て待つ。

Red kitten

 

今日は日常ブログなので、文体もいつもの感じで。

散歩がてら、神社へ寄る。

初詣客を迎えるべく、境内はすっかりお正月仕様。

生まれてからずっと参拝している、地元の神社。

 

まだ年は明けていないけれど、旅先でふと感じた来年以降の行動のビジョン。

でも、どうしようかな?

はて、なにしようかな?

ふむ、あれしようかな?

 

そんなテンションなので、

ちょっと具現化のヒントをもらおうと

おみくじをよっこらひいてみた。

 

そして、開いたくじに書かれていた内容。

 

「果報は寝て待て」という言葉がある。

 

これ、出だしの文章なんだけど、かっこよすぎで頭しびれた。笑

 

そうだね、ひとまず自分の意思ははっきりと確認できたので、

あとは一旦預けておいて、

のんびりと流れを待つことにしよう。

だって吉だもん、吉!(単純)

 

部屋の模様替えや、大掃除もちゃくちゃくと進み。

父が、部屋の蛍光灯の交換をしているので、横でアシスタントを務め。

母が、おしるこ用の大納言小豆を煮始め、横でのぞき。

少しずつ、2015年も幕とじに向かってゆく。

(幕開け、ということばの対義語が浮かばないけれど幕とじでよいのだろうかふうむ)

 

今日のひとこと:

「果報は寝て待て」、英語だと、

Everything comes to those who wait.

といった表現になるらしい。

こういうとき、日本語の端的な言い方が素敵だなあと思う。

寝て待て、ねてまて。(復唱)

映画「レインツリーの国」感想

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以前、ちらっと触れた、「レインツリーの国」。

本日、三度目の鑑賞をしてきた。笑

そのうち感想を書きたいと思ってたら、
あいだに久しぶりの海外を挟んだこともあって
なんだか記憶があいまいに。

そこで、また観てみた。(真面目)

以下に書くことは、
あくまでもYUKIというひとりの人間の、個人的な感想。
幼少時から今に至るまできこえない人生を歩んでいるわたしの、生の声。
そう思って読んでいただければ幸いです。

※ ストーリー展開に触れない程度の感想ですが、一部、具体的な場面のネタバレ含みます


 

一回目。

はじめてこの作品を鑑賞しながら、
主人公の伸(玉森裕太さん)といっしょに登場する、感音性難聴のひとみ(西内まりやさん)がとにかく性格暗いなあ…と感じたわたし。

もしかしたら、中途失聴の人とかで耳のことを受けとめきれずそうなっている方もいるかもしれないけど、わたしとそのまわりのきこえない知人たちにはちょっと関係ない遠い世界かもしれない、そんな印象を持った。

だって、

わたしは、このきこえない人生を愛しているから。(重い)

もし今生まれ変われるとしても、きこえない属性をまた選ぶだろうから。

まわりの知人たちも、愛まではいかないかもしれないけど、後ろ向きになったり前向きになったりしながらみんな一生懸命日々を過ごしている。

私自身も、仕事をはじめ、生活全般、不自由はしょっちゅう感じるけれど、家族や友人や上司同僚などまわりの人に支えてもらいながら人との交わり関わりの貴さを感じて生きられることは幸せだから。

幼少時の言語訓練だったり、中高時代の人間関係上のきつい経験だったり、大学のときに出会ったきこえない仲間(手話仲間)ときこえる仲間(ダンス部)それぞれとのかけがえのない時間だったり。

きこえないことは正直きついけれど、なんとかなるし、なんとかするものだし、この映画のひとみさんはなんか甘いんじゃ・・・とむずむず。

これが、初回鑑賞時の素直な感想。

 

そして、日本語字幕付きで観た二度目。

字幕なしで一度観ている作品を
字幕ありで拝見してまず感じたのは、
世の中には、こんなに音や言葉が溢れていて、わたしたちの生きる世界は、こんなにも音声で彩られているんだということ。

率直に、この世界はなんて素敵なんだろうと思いつつ、

その一方で、わたしが普段「きいているつもり」の世界は、やっぱりどこまでも「きこえているつもり」にしか過ぎないんだということを改めて突きつけられて、頭痛もした。

もともとカンは良い方なので、残存聴力に比べて音声情報(の内容)をとるのが上手だと、言語聴覚士をはじめ、いろんな方に言われることが多いわたし。

現に、字幕がなくてもだいぶ理解していたつもりだった。
それでも、字幕がある状態で作品を観ると、当たり前だけれど『ここで顔は映ってなかったけど、こういう会話があったんだ』とか『BGMがうるさくて聞き取れなかったけど、こんなセリフ言ってたんだな』とかぐっと理解が進み。

だから、音に彩られるこの世界はやっぱり豊かで美しいなと感じいる一方で、音を理解しきれない耳をもつ自分に対する途方もないさみしさも心のどこかに襲ってきた。

毎朝補聴器を付け、
日中はひとの唇を読み、
思い通りにはきこえない耳を澄ませ、
一所懸命、音の世界を「見て」
一生懸命、音の世界を想像している。

それでいいのに。

もうそれでいいと諦めたはずなのに。

きこえているつもりで生きているけど、
それはあくまでも「つもり」であって
どこまで頑張ってもきこえる人とは同じになれないのだと
目の当たりに突き付けられると、なんだかさみしいなって。

そんなことを感じた、二回目の鑑賞だった。

 

で、今回、三度目。

今までも劇中いろんな場面で涙を流したけれど、今日は、自分でも意外な、なぜここで涙が出るのかよくわからないところでじーんときた。

それは、伸さんがひとみさんの耳に補聴器が付いているのを見て、はじめて彼女が「きこえない」人であることに気づく場面。

ひとみさんが難聴ゆえに意図せずに起こしてしまったある出来事に対して、「なにやっているんだ、人に迷惑かけて」と伸さんが声を荒げる。「すみませんでした」と頭を下げて謝るひとみさんと、そこに補聴器を見つけて「あ・・・」と息を呑む伸さんの姿。

どちらも誰もわるくないのに、ちょっとしたきもちのすれ違いで発生する爆発的な感情。

目に見えないハンディキャップであるゆえに、相手に伝えるタイミングやサポートのお願いの仕方はむずかしい。私も経験してきた分そこそこには心得ているつもりだけれど、やっぱり壁にぶつかることも多い。

映画鑑賞中は分からなかったけれど、今振り返ってみると、私自身も形は違えど味わってきたその経験の、むずかしさと、恥ずかしさと、悔しさが、一気に体内をめぐったゆえの涙だったのかなあと。

でも、なんか、そういうむずがゆい気持ちが自分の中にあることを認められたから、よかったなとも思う。気付かせてもらいました。(合掌)

あと、これは別に無理にポジティブにしているつもりはなく、上記のきもちと同時に感じるのは、(ひとみさんの耳がきこえないことが)ここで伸さんにちゃんと伝わってよかったなという安堵。

もちろん、ここでは単に耳がきこえないという事実が伝わっただけであって、
どんな風にきこえないのか、
どう話すとわかりやすいのか、
普段どんな気持ちを抱えて生きているのか、
などなど難聴に端を発するいろんなことは、このあと時間とともに理解を深めていくことになるのだけれど。でも、相手が耳がきこえないことを知らないのと知るのとでは全然違う。関係性の大きな一歩。

そんなことも感じながら、鑑賞した三度目。

これまでの2回はどちらかというと、きこえない当事者としてひとみさんに向ける視点が強かったけれど、三度目の今回は、伸さんの気持ちに触れられたな、と感じる場面もちょこちょこあり。

 

そして、レインツリーの国を三度観て気づいた自分の思いがまだもうひとつふたつ。。

なんだかもりだくさんで、感想書き終えられない。笑

しかも全然内容まとまっていない。笑

眠いので、ひとまず後日につーづく!

 

今日のひとこと:

映画「レインツリーの国」を通して、自分の普段感じていることを見つめなおせるし、こうして文章化(言語化)することで整理できるし、いい機会をいただいたなあとつくづく。

2015年秋冬のタイミングで、この作品を鑑賞できたことに心から感謝。

 

Road to 2017

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2016年がくる。

 

「Road to 2017」

 

2016年は、その先の未来に向けて、悔いのないように淡々と着々と動く。

わたしにとっての2016年は、そんな年になりそう。

 

写真は、

この12月に訪れた、オーストラリア・ロットネスト島での一コマ。

バイク(自転車)をレンタルして、島をひた走った。

平地では、ギアを上げてぎんぎんに漕ぎ、

下り坂では、わっほーと解放感に浸りながら風まかせに泳ぎ、

上り坂では、ぜーぜー言いながらなんとか登ろうとするもあえなく断念し、

とぼとぼとバイクをおして無言で進む。

 

どこまでも青い空と、

どこまでも続く道と、

その先に見える穏やかな海。

 

太陽のにおいと、

土のにおいと、

あと、

自分のにおい。笑

 

別にわたしがとんでもなく汗くさいわけではなく(そりゃそうだ)。

なんていうか、

自分の息づかいというか、

からだのあたたかさとか

そのど真ん中にある自分のこころとか

今この瞬間のいのちの鼓動とか

そういうものをひっくるめた、におい。

を嗅いだ気がする。

 

久しぶりに、太陽のしたで思いっきりはしゃいだな。

向こうは真夏だから、日焼け止め塗り忘れたところは焦げた。

 

しかし、予定では、島を一周するはずが、

道を間違えて同じところをぐるぐるして、

なぜか、見事にはじめのスタート地点に戻り。笑

 

でもそこから仕切り直して向かった、

灯台のてっぺんからみた景色やその道が

これまで見たこともない彩りの世界で。

千と千尋の神隠し、の一場面をちょっと思い出したりもした。

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急がば回れ、てことだね。(ちがう)

 

で、漕ぎ疲れてゼーゼー言いながらも

島の景色をうっとり眺めていると、

灯台でお会いした観光ボランティアのおじいさんおばあさんの乗った

オープンカーに、あっという間に追い抜かれるという。

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あっさりと抜かれたの図。笑

 

抜きながら、ボランティアのおばあちゃんは

「あらまああああ、がんばってねえええ」(ニュアンス)

と楽しそうに手を振ってくれて。

世界のどこでも、おばあちゃんってわりと元気でいいなあ。

 

1日、1年、その積み重ねが、描く未来に確実につながっている。

自分が決めた道を、もう走っている。

自分の想いと力で、走っていく。

無心に、ただひた走る。

 

そんなビジョンと実感をもらえた

ロットネスト島での一コマでした。

 

Now I’m on my road to 2017 !!

今度は、どんな旅がはじまるのだろう。(どきどき)

つぎは、どんな出会いがあるんだろう。(わくわく)

 

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帰国しました。

Trip

久しぶりの更新。

南半球の旅に出てました。

夏のオーストラリア、ニュージーランド、

ああ幸せな日々だった。(遠い目)

 

で、本日クリスマスイブと明日のクリスマスは仕事。

帰国直後の昨日は時差ぼけ解消と称してふて寝。笑

 

そしてむかえた、

2週間ぶりぐらいのいつもの朝。

太陽はまだ雲に隠れて見えないけれど、

雲間から待ちきれずに光の梯子を空に映す。

『わ!』と思わずカーテンを全開に。

 

2週間ぶりぐらいの朝の通勤路。

夜に雨が降ったらしく、朝露状に庭の植木の葉がきらきら輝く。

『あ!』とうれしくなる。

 

旅先で駆け抜けた日々もかけがえのない経験になったけど、

なにげない毎日もやっぱり宝物なんだなと思い出す。

クリスマスイブ、街が幸せに包まれる日(この表現好きだ)、

なんだかわたしも幸せになりました。

ありがとう、そしておはようございます。

 

(なんてこったい)

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ふうむ。

何かのヒントになるかもだし、メモしておく。

発端は、パラパラっと読んだ本。

ひとはみんな、自分のなかに答えを持っている、とのこと。

まあそりゃそうだ、と思いながら読み進める。

すると、

 

・・・

 

・・・

 

ここで下書きが終了していて、ずっこけ。

10月に書きかけたまま、下書きに入れっぱなしだった文章を

さっき発見して、我ながらわくわく読み進めていたのに。笑

やっぱりなにごとも、思った瞬間に綴らないともったいないな。

なんの本かさえも、まったく覚えていないし。(遠い目)

 

時間の加速度が早まっている昨今、

ぼんやりしていると「今ここ」は

あっという間に「過去」になる。

 

あまり考えがまとまらなくてもいいから、鮮度を大事に。

きれいに語ることよりも、素直に率直に伝えることを大切に。

 

もちろんある程度は整理してアウトプットすることも必要だけど、

過度にぐるぐる抱えなくてもよいということ。

ポンっと外に出してみると、

それはまず自分の「ことば」になり、見えてくる。

ポンっと人に伝えてみると、

相手の「ことば」や「反応」になり、新たなかたちになってくる。

 

ふと閃いたり、ふと感じたり、ふと疑問に思ったり。

そんな「なにか」が自分のなかに生まれたのなら、

先ずは自分の中だけでじっくり味わうもありだけど、

そのうちメモなり日記なり

なにか自分なりの「ことば」に置き換えてみるのはよさげ。

あとは、

SNS等を使ってまわりにテキスト発信してみるもあり、

まわりの人に「まだまとまってないんだけど〜」と口頭でちらっと伝えてみるもあり。

いやわたしもこれ書きながら、

まだまとめきれてないのだけど〜。笑

 

折角、何かの化学反応が起きて

この世に生まれたエネルギーだから、

それを動力に変えて、

行動する。

それが、気の流れ的にもきもちがいいんじゃないかなとなんとなく思うこの頃。

そしてそれは、ある程度のスピード感も大事。

中に抱えたままなのは、

極端にいえばまだ「ない」のと同じことだから。

まあアウトプットのタイミングもあるだろうけど、

折角の「ある」を、貴ぶ姿勢で。

生まれたなにかをどう料理しようかなと

わくわく楽しむ姿勢で。

 

そして、

行動するとフィードバックが返ってくる。

たとえば、「今アクションカメラに興味があるんだ、サーフィンするときに海で撮りたくて」と飲みで会った友だちに喋ってみる。

その場は「そうなんだ〜」で終わるかもしれない。

でもそれが友だちの頭の隅っこにあって、

あるとき友だちが仕事の取引先で知り合った人が、アクションカメラの研究開発に携わってたりしたら

『あ!』と繋がるかもしれない。

なんらかあとで、「化学反応」が起きてくる。

だからタネを蒔けば蒔くだけ、

じわじわと自分の周囲の地面の下にいい具合に「可能性」の芽が育つわけで。

以前のわたしは、自分のことはけっこう語らない人だったけど、

これに気づいてから、感じていることや欲していることはぺらぺら話すようになったかもしれないなあ。

 

さて、今日はこれから、

「レインツリーの国」を日本語字幕付きで鑑賞。

字幕上映期間中にもう一度観たいと思いつつ、

平日は仕事だし、どうしてもほかで時間が取れず、

休息重視なわたしにしてはめずらしく

日々の通勤時と同じぐらい早起きしての行動。

それでも、いつもより寝覚めはいい。観たいから。

 

「動力」、だいじだな〜。