月別アーカイブ: 2016年1月

肚決まる

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昨日も今日も明日も、残業帰り。

おつかれさま!!(大声)

最近は、平日夜や週末、パソコンを持ち帰って、電車や家で仕事の続きをやることも通常運転。

なので、今日みたいにちょい残業したのち、パソコンを会社に置いて帰路につけるだけで、充分幸せな気分になるわ。ある意味、おトクだね。笑

 

ここのところ、

なにか学びたいんだけど、なに学ぼう〜〜

というテンションだった。

人材育成、ないし人材開発の仕事なので、

みなさん、割りと、仕事をしながらせっせと自己研鑽にも励んでいらっしゃる。

ある種のプロフェッショナル集団だし、

同時に、もっともっとパワフルなプロフェッショナル集団を目指している。

 

今のわたしが、新たにorさらに学びたいのはなんだろう?

カウンセリングかな?

コーチングかな?

あるいはもっと他の理論かな?

ぼんやり考えてみたけど、どれもピンとこない。

 

なんでだ?

いつものわたしなら迷いなく決めてるはずなのに。

 

そしてやっとこ気づく。

それは、今やるべきことを本当はもうわかっているから。

今はカウンセリングではなく、

今はコーチングでもなく、

ああやっぱり「これ」なんだな、

ということが今日わかった。

そのスキルを活かしている人を目の前にしたとき、

「じゃあ、自分もやればいいんじゃん」

「だから、やりどきでしょ」

「やってみるだけやってみたら?」

とわたしの中の何かが、淡々と囁いたような感覚。

ロジックで考えると、資格や学位を取って活かせるような内容がいいはずなんだけど、今優先度高く学びたいのはどうもそれではないらしい。。

 

やらなきゃいけない、

ではなく

やりたいからやる。

さらに厳密に言うなら

やりたいからやる、

というよりは

やっぱりこれをやるんだ。

そんな感覚かなあ。

 

どこに流れ着くかはわからないけど、

とりあえずやってみよう。肚決まった。うし。

 

今日のひとこと:

残業帰り、月を見るだけでなんだかうれしくて吠えたくなるなぞの習性をどうにかしたいこの頃。

ホーホーホー!(吠えてる)

 

追記:

このブログアップしたあと、のんびりお風呂浸かってたら、ふと「観念」ということばが浮かんだ。

今日のわたしの「やっぱりこれなのか」という気づきは、言い換えれば「観念した」ということ。

「観念する」って、一般的には[あきらめて状況を受け入れること]とされるけれど、その本質にあるのは[奥底に息づく本当の思いに気づき、構えを緩めること]なのかもしれないなあと勝手に合点。

 

「こんばんは、タモリです」の衝撃

roar

ワン!

と思わず言いたくなる画像だね、かわいい。

ワオオーン♪

もよさそう、気持ちよく、てらいなく出される声。いいね。

 

数年前、仕事をお休みして、2年弱の修学生活に入ったわたし。

単位をとるために日中通学もしたけれど、

普段朝から晩、それこそ終電まで働いていた日々とは一変して、

自分の裁量で、自分のペースで生活を送るようになった。

そうして少しうまれた、ゆとり。

 

その頃だったかな、当時使用していた補聴器の調子が悪く、

お世話になっていたお店に修理持ち込み。

そのとき、

テレビ横に備え付けられていた5センチ四方の白い器械に興味があって

「これ、なんですか?」と尋ねてみたところ。

「補聴器に、ダイレクトにテレビ音声をとばすものですよ」との答え。

この補聴器は、Bluetooth対応なので、

ストリーマーを装着すれば、

普段の補聴器はワイヤレスヘッドセット代わりとなり、

聞こえる人がヘッドフォンやイヤホン付けるのと同じような感覚で

音が直接耳に入ってくるようになる、とのこと。

>>オーティコン社 ストリーマーPro

 

早速、家で試聴体験をさせてもらうことにして、

テレビにアダプタを接続して、

実際に自分でストリーマーを首にかけてみると

Music Stationのタモリさんの声がよく聞こえて驚くの巻。

「こんばんは、タモリです。」

今までただのマイク握っているおじさんだったタモリさんが、

司会タモリさんに変貌。

その頃、すでに音楽番組にも字幕は付きはじめていて、

出演アーティスト同士のやりとり内容はそこそこ把握できていたし、

相変わらずダンスも大好きだったのでダンサーの動きも追っていたけど、

「音楽」そのものは今ひとつ楽しめていなかった。

進行性だし、やっぱり音楽はこのまま縁遠くなっていくかもなあと。

 

でも、このストリーマーを通してまた音楽を「聴く」ことができて。

ただの「絵」「動画」としての  ”見る”世界メインだったのが、

「音」「声」「音楽」をともなった ”きく”世界も、また光を放ってきて。

まさに、冒頭わんちゃんの画像が、

「ワン!(喜)」とリアルな吠え声をともなった瞬間なのであった。

テレビだけでなく、スマホやウォークマンの音声もワイヤレスで転送してきくことができるし、本当このストリーマーは便利。

 

ただ、

感音性難聴だから、音がきこえるだけでは内容を理解できない、

つまり、音楽がきこえても、その歌詞内容はわからない。

この曲好きだなと思ったら、

そのアーティストさんの歌を耳元に流しながら、

歌詞カードと照らし合せて、

「ん?今なんて歌ったんだろう」

(歌詞カードを見る)

「あーこの部分はこんな風にきこえるのか」

てな具合で、何度もなんどもなんどもきいて耳で脳で覚える感じ。

 

しかし面白いもので、

これはある種「耳をすます」「耳をつかう」という意味で

聴神経トレーニングにもつながっているようで、

依然聴力は低下しているけれど、

そこそこ人と会話ができるのは、読唇以外にもこんなことが関係しているかも。

 

 

音楽の世界を、また楽しむことができて本当に感謝!

たまたまだけど、学生生活に戻っていた時に、

少しきもちにゆとりがあるから、

その分楽しいことも飛び込んできてくれたのだろう

と今でも思う。

歌番組はわりと見ているほうだけれど、最近はなぜかナオト・インティライミさんの歌にもはまり、ベスト盤など買ってしまったいひひ。

 

幸せはどこにある

yukidaruma

 

とある日の朝。

いつもの電車に乗り込み、席に座り、ほっとひと息。

窓から、あたたかい朝の光が射し込んでいて

車内の奥の方まで陽光に満ちていて。

もう春も近いんだな、

となんとなしに感じて、心がふわっとほころんだ。

 

そうして目を閉じたとき、ふわっと字のようなものが瞼裏に浮かび。

ん?なんだろう、と目をつぶったまま目をこらしてみる(超人)。

 

「 幸 」

 

そこにはなぜか、薄暗いなかに、ぼっと灯るような「幸」の漢字が。

中でも強く感じたのは、この「幸」という字の上下をつらぬく直線のイメージ。

自分のなかに揺るぎない軸、信念、芯があること、

それが、

幸せな人間である、幸せになる、大きな土台なんだなあ

今現在のわたしが大事にしたいことなのかな、とあらためて味わってみる。

 

その数日後。

とある日の夜。

会社から帰宅して、お正月に放送されていた

五郎丸さんと又吉さんの対談番組の録画をなんとなく見始める。

二人の対談中心で、合間にときどき、体操選手や飛び込み選手のドキュメンタリー。

五郎丸さんかっこいいわ!

ふー!

プレーも気持ちいいけど、言うことも気持ちいいわ!

ふー!

という話もしたいけど、今は別の話をしなくてはならない。笑

 

その番組中、飛び込み選手のお父様(彼自身も元選手)がこんなことを仰っていた。

「辛いことを抱えることができれば、きっといいことがある」

練習の日々、努力の蓄積に対して向けられたことば。

辛いことを抱きしめて抱きしめて抱きしめて耐えたら、なんかいいことあるよ。

耐えたら、何かひとつ成長できることがあるかもしれないから。

そんなニュアンスらしい。

たしかに「辛」に一本足せば「幸」だもんね。

 

それを聞きながら、はたと気づきを得る。

むかしはなんとなく、

辛いことを乗り越えるとか向き合うとかの

その先にいいことがあると信じて生きていたけど、

いまはもう少し違う感覚になっているわたし。

 

世知辛い経験や挫折、失敗をするなかで、

それらを、自分のなかにどれだけ意思をこめて受けとめる覚悟があるか。

幸せになるって、

試練を越えるとか、苦難に耐えるとか、辛い経験の先にあるものというより、

むしろそういう悔しさとか挫折とかを

自分の中にどう携えるか、人生のなかに位置づけるか、

よしっと決められた(=覚悟をした)瞬間にそれでもう十分幸せなんだろうなって。

 

つまり、

辛いことの先に幸せがあると信じているうちは、

幸せはいつまでもなにか苦しいこととセットで授かる。

辛いことも幸せの一部として、

「そういうこともあるよね」「こんな経験させてもらって、これもありがたいな」

と経験している瞬間に同時に許していれば、

辛さはすでに幸せでもある。

つまりどんな出来事も経験も幸せな、無類の幸せ者ということ。

baloon

だから、

「辛」に一本足すと「幸」になる

この一筆は、

むかしは、幸せは、努力とか困難へのチャレンジの先にあることを示唆しているのかとぼんやり感じていたけど、

もしかしたら

単純に、自分がその経験をどう解釈するか受容するかといった

自分の意思(意志)でいかようにも変わる

そんなことを、この一筆は意味しているのかもしれないなって。

つまり、

「辛」に一本足して「幸」にする。それは自分がいつでも決められる。

「幸せになることを、わたしが今そう決める」勇気、

「自分を幸せにすることを受け入れ、今この瞬間からそう生きる」覚悟、

それが一筆書き入れるという動力のみなもと、自分の意思。

 

それなら、何か辛いことがあったら、ぐだぐだしていないで、もうさっさと一本書き足したほうが早いね。なるほど。笑

漢字一文字から、いろいろ感じられる日本語、いいね!

 

 

まあ、日々生きていると、仕事や家庭生活で人と関わっている中で

「え、なんでそんなこと言われなきゃいけないの」と思うような不可解なことばをぶつけられたり、「どうしてうまくいかないんだろう…」とふがいない自分に落ち込むこともあるかもしれない。いろんな人といろんな場面で関わる以上、やっぱり、理不尽な出来事は起こる。

ぜんぶ、ここ数ヶ月でわたし自身も味わったこと。笑

そんなときは、なんらかの人生の学びなんだろうと察しつつも、

やっぱりそんな状況や、他人や、自分にうんざりもする。

少し先には「実になる」と信じて、淡々とこなすしかないのかな。

 

でもそうしてこなしていると、

面白いもので、ある日、「抜けたな」と感じる瞬間がちゃんとくる。

それは、今日のブログでいう、

一筆書き入れることができた瞬間、なんだね。

自分の意思次第で、この「辛」を「幸」にいつでも変えられるんだと知っているとそのこなすしかない時期、トンネルに入っている時期が短くなるのかもしれないなあきっと。

 

幸せは、探すものではなく、もうすでに授かっている。

あとは、自分がそうなるか、どうするか決めるだけ。

決めたら、それをしっかりと自分に許すだけ。託すだけ。

 

みたらしだんごと日焼け

dango

ああ〜

このみたらしだんご、美味しそう。(よだれ)

今週食べたのに、また食べたくなっている。

よもぎ × 粒あんもいいよねえ!

 

豆大福とか芋ようかんも美味しいけれど、

だんごの何がいいって、

串に挿してあって

「どうぞお食べください」(by だんご)

といううやうやしさである。

しかも、頭丸めているし。笑

もしだんごに性格があるならば、

恭順さとか敬虔さとかに満ちてそう。イメージ。

 

なんでこんなにだんごについて熱く語っているのかは謎だけど、

とりあえず、だんごはうまい♪

 

ところで、

このみたらしだんごの画像を見ていて、

最近どこかで見たんだよなあ、この色合い…

と思っていたら、

日焼けした自分だった。

 

12月に、南半球に行っていたわたし。

とくにオーストラリア・パースは連日30度近くの晴天で、

ごたぶんにもれず、わたしもこんがり焼けた。

年が明けて、

仕事始めでいろんな方に再会したけど、

だいたいみなさん

「あら?」(視線釘付け)

「あれれ?」(瞳孔拡大)

となり、次の瞬間には

「ずいぶん焼けましたねー!」と。

でも、帰国してもう半月ほど経つのにな。

このみたらし風の日焼け、どうしたら。

 

とか言ってみるものの、

とりあえずどちらかと言うと、今はだんごが食べたい!

だんごだんご言い過ぎた今日のブログでした。だんご。

2016年書き初め。

monkey couple of the outdoor bath

「松の内」更新間に合った〜

めでたく、2015年9月から開始したこのブログも半年が経ちました。

2016年もよろしくお願いいたします。

 

「松の内」って、ことばの響きがなんだか好き。

ぐぐってみたら、

一般的には「松の内」までが正月とされ、

この日が終わるとしめ飾りや門松などの飾り物を外して

人びとは生活や気分を日常のモードに切り替える、とのこと。

期間は、関東地方が7日まで、関西地方が15日までとされているらしい。

ということはつまり、明日まではお正月なのか!(喜)

 

ちなみに、今年のわたしの初笑いは、

初詣からの帰り道、父と会話していたときのこと。

神社の近くに、私の好きな地元のゆるキャラがいた。

私「ああやっぱり、みし○るくん、かわいいな〜。お父さんは、ゆるキャラ、何が好きだっけ?」

父「そうだなあ、面白いのはふなっしーかなあ。あ、あと、くまもとの・・・くまもいいね。くまもとくんだ、くまもとくん。」

私「くま? ああ〜」

通りすがりのおじさん「くまもんね。」(すれ違いざまに)

父「・・・?!!」(赤面のち笑い)

 

すれ違いざまに、父にさらりと教えてくださった見ず知らずのおじさん。笑

後ろからの追い抜きざまならまだしも、この方は正面から来たおじさんなのによく私たちの会話が聞こえていたなあ!

そんなこんなで、さる年なのに、正月早々、くま(とおじさん)の話で盛り上がるという我が家のスタートでした。

2016年も楽しい年、になりそうです。

 

明日には、会社のエントランスに飾られている門松も撤去されてしまうのか。

門松に付いてるお飾りの橙(だいだい)のみずみずしい艶と色が好きで、朝夕の目を潤してもらったので、ちょっと名残惜しい。

次に目にする季節の彩りを楽しみに(梅とか)、

また1年過ごしていけたらいいなあいいねえそうしよう。