月別アーカイブ: 2016年3月

吉幾三、吉やる三

dog

おや?

おやおや?

 

・・・って感じのわんちゃんかわいいねえ。

 

でもほんと、

おや?

おやおや?

となぜだか分からないけれど、無性に心が沸き立つ、本格的な春到来だなと感じる今日この頃ですね。

 

例によって、休日出勤の土曜日。

年度末とあってか、

経理のひとも

人事のひとも

いつもよりたくさんフロアにいらして、

別に仕事上の関わりはそんなにない方たちだけど、

「お互いがんばりましょうねー!」という気分に。

 

中には、

採用面接の出勤ついでに、年度末だからと言いながら片付けに精を出している方もいて。

えらいなあ。(伸びをしながら)(散らかった自分のデスクを思い出しながら)

まあ何事にもタイミングってものがあるしね。

 

せっせと仕事の山を片付けるも、

つぎつぎと出現する山。笑

 

ずっと座りっぱなしなので、

思い立って、ランチは立食形式に。笑

休憩スペースで、外を眺めながらサンドイッチを頬張る。

でも飲み物は、ほうじ茶。

天気もよくて、子どもたちが芝生を駆ける様子も見えて和むターン。

 

アキレス腱もしっかり伸ばしてその後も奮ってみたものの、しまいには飽きて、ちょっと写真など撮ってみる。

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もう夜だよ…

 

しぶとく作業に向かうものの、そのうち、脳内で

「よしいくぞう、よしやるぞう」

という謎のフレーズが、エンドレスで回り始める。笑

 

集中力の限界と察して、すごすごと退社中。

もうすぐ家だ、いつもに増してうれしい。

やっぱり休息は大事だね。

今夜は少しゆっくり寝るぞう!!

 

風邪ひけた。

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風邪をひいた。

この秋冬シーズンで、始めてひいたな〜。

むしろ、もう春なのにここでひくとは!

やられたな〜。(でこぽん)

 

といっても、大した症状ではなく

少しの扁桃炎と少しの鼻水と少しの熱っぽさ。

体質上時折訪れる、耳まわりゆかりの頭痛やめまい系具合の悪さに比べれば、楽なもんだ。

 

今回、喉のイガイガや、鼻水が出てきたときに

まず感じたこと。

それは、

 

風邪をひけたー(ガッツポーズ)

やった!風邪ひいたー(バンザイ)

 

という謎の喜び。安堵感とでもいうのか。

なぜなら、

とくに年始からはやるべきこと(仕事)が立て込んでてずっと気が張っていて、

ちょっとぐらい体調悪くても、どうにかしなくちゃなと出勤し続けて、

相変わらずやることはてんこ盛りだけど「まあなんとかなるかな」ぐらいには落ち着いて。

 

その矢先。

少しゆるんだところに、するりと風邪菌。

 

鼻をチーーンとかみながら、

ずっとずっと忙しく働いていたのを知っている母と、

「本当、からだはうまくできてるねえ」

としみじみ話す。

 

今回は

風邪、治さなきゃ!という気持ちがみじんもなく、

久しぶりの分かりやすく「弱っている」感覚を楽しんでいる。

ぐずぐず。

むずむず。

もぞもぞ。

ごろごろ。

これもまたひとつの春の兆しのような気がしてくるから、面白いもんだね。

啓蟄を体で表しているような気分になってくる。

そう、わたしは地中でうずうずする虫なのだ。

 

あー、ちゃんと緩むことができて、よかった。

なにも言わずにがんばっているからだに、感謝。

 

真に・受けて・流す

gorilla

どうも、こんにちは。

 

なんて、ちょっとゴリラに言わせてみた。笑

あーごろごろしたい。

かっこよくごろごろしたい。(なぜ)

 

さておき、最近、「これいいかも」と気づいた在り方。

真に・受けて・流す。

 

合気道あたりのちょっとした達人になった気分でやるのがポイント。笑

ふっと、ほんの少しだけ姿勢を正して、目の前の相手に集中力を高めて臨む。

なんていうか、武道でいう「構え」みたいな?

何の気なしに、気兼ねなく話せる相手であれば

きっと自然体のままでいいんだろうけど。

 

でも時折、自分とはちょっと毛色の違う人ももちろんいるわけで。

こと仕事の場面では、丁寧に応対することも必要になる。

そんなとき。

コミュニケーションという名のエネルギー交換にあたり、

まずはかるーく「構え」をして、

目の前の相手に敬意を払いつつ

真に・受けて・流す という 「」を意識しながら、

相手との応酬を楽しむ感覚。

 

武道って、実戦でどんな技を繰り出すにしても、そこに至るまでの構えとか所作とか呼吸とか外せない。

わたしも昔、日本拳法をやっていたので(割りとなんでもやってるな。笑)分かるんだけど、とにかく基本の型の練習を繰り返して徹底的にその構え方を身体に覚えさせるんだよね。

そうすると、実際に相手を前に向き合ったときに、自然と身体がはまるというか。

相手がいるんだけど、まず、自分にはまってる感じ。

 

とるべき型を体得してしっかり肚に落としていれば、

相手にも余裕を持って、向き合える。

だから、

ただ向き合うよりは

ちょっとした「型」を自分のなかに持っておくと楽で、

最近のわたしの場合は、

この「真に・受けて・流す」が

けっこうはまってるということ。

 

こと仕事の場面だと、

相手の思いなりリクエストなり、

発言をすべて「そうですよね」と受けとめていると、

自分の真意ではないから、苦しくなるときもある。

(もちろん、全部がぜんぶ、受けるだけではなく「これはそういう意味ですよね」とか「あれ?本当にそうなんですか」とやりとりする場面もあるけれど)

 

一方で

相手の思いやリクエストなり、

発言をはじめから『違うなあ』『うーんそれはどうだろう』とふわっと左から右に流してばかりいると、

この会話の中でなにを決めたいか、どう歩み寄るかにも届かないし、

せっかく時間を割いているのに、自分のなかで化学反応を起こせないし、

あと、なんとなーく聞かれてることを察した相手が、不機嫌になることもある。そりゃそうだ。

 

だから、

まずは、ちゃんと真に受ける。

相手のことばと思いを、しっかり受けとめる。

でも次の瞬間にはちょっと流す。笑

 

真に・受け・流す。

(押忍!)

 

流すのは、そのことばといっしょに届いた相手の「感情」かもしれないし

相手は親切心から言っているけど、ちょっとスルーしてもよい「内容」かもしれない。

真に受けるか、

真に受けなくてよいか、

はそのときに感じる、自分の直観で決めてよいとわたしは思う。

 

わたしたちは生きている以上は

いろんな人と出会い、

情報や感情をやりとりするけれど、

やっぱりコミュニケーションも一期一会の感覚は大事にしたい。

 

「はいこんにちは」(真に)

「はいありがとう」(受けて)

「はいさようなら」(流す)

 

そうして

一期一会を大事にするということは、

その瞬間

相手はそこにただ在る状態になり、

あとはその佇まいを感じながら

やりとりの内容にフォーカスすることができる、

そんな感じなのかなあとも。

まだつかみはじめたばかりで、うまく言えないのだけど。

 

あと、もうひとつ、

都度ちゃんと向き合って「流す」ことができていると、

新しい「こんにちは」が飛び込んでくる。

それは苦手な相手を「流す」と、

別の素敵な縁と「こんにちは」できることだけではない。

苦手な相手が伝えてきた内容なり感情を

ちゃんと真に受けて「流す」と、

それは一旦自分のなかでチャラになり、

また次の瞬間その相手を

新しいきもちで迎えられる。

場面場面ではなく、瞬間瞬間で。ことば単位で。

 

自分も余計なものを蓄積しすぎずに

つねにフラットな状態で臨めるのはほんといい。

やっぱり身軽で気軽なのがいいよね、春だもの!

 

 

断髪(式)

relaxed sumo

 

髪を短くしてみたの巻。

 

似合わなくてもいいじゃない

だって切りたかったんだもの       

                                      ゆきを

 

それにしても、美容院あるあるなのかもしれないけど、

雑誌を頼んで

スタッフの方が持ってきてくれる女性誌が、

以前と比べて

明らかに年齢層高めターゲットのファッション誌なり美容誌に変わりつつあり。

たまに、40代50代ターゲットの謎の美魔女多数掲載雑誌だったり。

軽くへこみつつも、読んでみると意外と楽しい。笑

普段の自分がまだアンテナを張りきれていない少し上質なものが、洋服からアクセサリー、はたまた食べ物まで色々と紹介されているから、

「このブランド、部屋着もあるのかー」とか

「今度ストール買うとき、ここで探してみようかな」とか

「ふりかけ、値段高っ!!」とか

知らずしらずのうちにだいぶ興奮しながら熟読している。

 

私自身、普段はあまり買い物はしないけれど、

何か買うときには、以前よりもだいぶ質重視になったし

ケミカル素材は身体にまとったり持ったりすると時折イライラするような感じもあって

服も鞄も、素材や着心地触り心地を吟味したくなった。

なんでも迷いなく「好きだから」一辺倒でなんでも着ていた学部時代が懐かしい。笑

はああおとなになったもんだねえ〜

 

何かにこだわるということは、

ある種、「好きなもの」に制限をかけるわけだから

少しばかり不自由になったのかと思いつつ、

ある種、「好きなもの」について意志を持って

選択する自由を自分に与えていることでもあるわけで。

一見、同じ「好きだから」の選択と行動だけど

その中身は実はカラーが違うんだね。

こんなところでも、感度や感性が変化し続けているのだと実感。

 

次の誕生日まであと一か月。

どんな風に過ごそうかな〜。(伸びをしながら)

 

脳のエネルギーのゆくえ

spa

はい、休日出勤。(哀)

その後は、マッサージへ。(愛)

すっかり定着した、休出時の人参方式。

ミュージカル等の脳刺激系人参もいいけど、

やはり鍼灸やマッサージといった身体リラクゼーション系人参も捨てがたい。

次の休出が待ち遠しいな!(大嘘)

 

今日は、

ホットストーンをやってもらったのだけど、

これがまた、気持ち良くてですね。

セラピストさんの手の温もりと、

ストーンの地の温もりとでとろけた。

力加減も絶妙な方だったな〜。またお願いしたい。

 

ところで。

最近の私的気づきを、メモがてら。

 

とある大学の先生にお会いする機会があり、

“きこえない人の情報のとり方” に話が及んだ。

なんで、そんな話になったんだっけな?

細かな点は忘れたけれど(安定)

たしか

「きこえない」ことと「きこえにくい」ことの違いを、きこえる人が分かるのはやっぱり難しいよねという話から、

耳がわるいけど100パーセント失聴している訳ではない「きこえにくい」人が、普段のコミュニケーションでどんな風に情報をとっているのかという内容に流れたような。

 

先生いわく

きこえにくい人は、コミュニケーションするとき、常に、「あいまいな」情報を一生懸命自分なりに形づくろうとしている

のだと仰っていた。

そして、

あいまいなものを形づくろうとしつつも、その間にもどんどん追加されて飛び交う情報をなんとか追いかける、という行動もしないといけないために、普通に何の努力もなく耳できく人に比べて、エネルギーの消耗が激しいのだとも。

 

エネルギーを使う?

ああ、一心不乱に目でみんなのくちびるや表情を読むからかな?たしかに疲れるかも…

と思いきや、

「脳のエネルギー」なんだそうな。

 

脳のエネルギーをそこに使う

ということは、

言い換えると

脳が、ほかの作業に費やすキャパが足りなくなる

ということ。

 

だから、私自身もそうなのだけど、

今目の前で、なにが話されているのかを見出すことに全意識を集中してしまうから、

その会議中にメモをとるとか、決まったことを頭の中でまとめ直すとか、進行役を務めるとか、割に苦労する。

少人数の打合せなら、わりと自分からよく発言もするし、進行役となることも多い。

でも、部定例ミーティングのような10名以上の場だと、メモをとってもらっていてもなにがなにやら状態で、何か会話に参加したいトピックスでも話に集中してるとあっという間に終わってしまう。笑

 

以前から自分自身のそんな傾向は感じていて、

性格が大ざっぱだから、情報のとり方がざっくりしすぎているのかなとか、

なんでもまずは受けとめちゃうから、疑問を感じる力が弱いのかなとか、

ノートの取り方を工夫した方がよいのかなとか、

反省かたがた、いろいろ思考を巡らしてみたことも。

 

もちろんそういう要因もゼロでは無いのだろうけど、きこえにくいゆえの情報のとり方(=脳のエネルギーの向け方)が大きく影響しているのだと知り、安堵したんだ。

なんだ、そういうことだったんだなって。

だったら、人に比べて苦手だったりうまくまとまらないのは当たり前なんだなって。

それに、何かわたしに伝えたいときに、メモを書いたりメールの文面を指差したり、ちょっとした視覚情報を用意してくれると理解度とそのスピードが格段に上がって、後のやりとりがしやすくなる理由も納得した。

もちろん、これからも自分なりにいろいろ試してみようとは思うけど、ききながらうまく「できない」「考えにくい」理由がちゃんと科学的にもあるんだと知ることができてよかった。

 

きこえない人生、奥が深いな!

これだからやめられないのよね。笑

 

 

やりたいことは全部やる。

ballet_girl

ほんとうは、やりたいのに、我慢している。

ほんとうは、会いたいのに、我慢している。

ほんとうは、食べたいのに、我慢している。

ほんとうは、買いたいのに、我慢している。

ほんとうは、話したいのに、我慢している。

ほんとうは、学びたいのに、我慢している。

ほんとうは、遊びたいのに、我慢している。

 

だから、心苦しくなる。

だから、息苦しくなる。

だから、生き苦しくなる。

 

だったら、

ほんとうは、やりたいことを、全部やればいい。

ほんとうは、会いたいひとに、全部会えばいい。

ほんとうは、食べたいものを、全部食べればいい。

ほんとうは、買いたいものを、全部買えばいい。

ほんとうは、話したいことを、全部話してみればいい。

ほんとうは、学びたいことを、全部学んでみればいい。

ほんとうは、遊びたいことを、全部遊びきればいい。

 

そしたら、心が開ける。

そしたら、運が開ける。

そしたら、道も開ける。

 

ついこの前

「よし、やりたいことを、全部やろう!」と、突然決めてみたわたし。

今「やりたいなあ」と思いつくことを、今年は全部やってみようと。

そう決めただけなのに、不思議ときもちが軽くなって。

 

次の瞬間、わたしに起こった変化が。

 

それは、

ひとを「うらやましい」と思うきもちが薄くなったということ。
以前も、あまり意識はしてなかったのだけど、

やりたいことをやっているのが、

心のどこかでは、どうもちょっぴりうらやましかった?らしい。

ひとへの態度しかり、ものの扱いしかり、人生へのチャレンジしかり。

でも、自分がやりたいことはすべてやる、

と自分で自分に腹をくくってみたら、

その瞬間、ひとのことはどうでもよくなった。

さっき、きもちが軽くなったと書いたけど、

文字通り軽くなった。

体がちょっと透き通ったような感覚というのかなあ。

 

やりたいことは自分次第でなんだってできるんだ、という嬉しさと、

同時に

自分の責任でしっかりやるんだな、というちょっぴりの緊張感と。

これが、自分の人生を引き受けるという感覚なのかな。

一度きりの人生、自分のまんなかを生きたい。

別に、小難しい人生の課題や、テーマをこなすというわけではなく、

単純に、自分の人生でわくわくすること、幸せなこと、愛を感じることに、日々素直に過ごせればいいなって。

 

後悔したっていい。

失敗したっていい。

悩んだっていい。

転んだ分だけ、あなたの人生のまんなかに進む。

泣いた分だけ、あなたの人生のまんなかを知る。

苦しんだ分だけ、あなたの人生のまんなかに気づく。

そうしていつか、

あなたの笑顔が、あなたの人生のまんなかを照らすから。

 

出会い、のち、くつ下。

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帰り道。

ふらり立ち寄った、スタバにて。

なぜか、そこにいらした石田純一さんと目が合ってしまった。

テレビで見るまんまの雰囲気だったな。

 

で、帰宅予定を家に連絡するついでに、

「いま、石田純一に会ったよ〜」

と知らせてみたら、

父からさっそく返事が。

 

「くつ下、はいてた?」

そこかい!

でもたしかに見ておけばよかった。笑

 

そうして、帰宅。

「ただいま〜」

と、いつものように玄関口で靴を脱いでると、

父が

「おかえり〜」

とふらり登場。そしてこう続ける。

「い◯◯(名字)じゅんじです」

「くつ下は履いています」

えええ?(笑)と戸惑っているわたしに、こうも続ける。

「だって、冷え性ですから。」

ちゃんと履いてる理由があるのね!なるほど〜。