月別アーカイブ: 2016年4月

大切なことを形にして伝える

Seaford Sheep

あー、春だね。

『お辞儀』で検索かけたらなぜか出てきたこの画像。

まあたしかに、お辞儀… 笑

 

さておき

今、ちょっと気になる広告がある。

駅に貼られた大きなポスター。

広大な神社敷地の写真。

その風景の、鎮守の森の上にこんなことばが書かれている。

 

神様は人へ伝える。

形のない大切なことを。

人は神様へ伝える。

大切なことを形にして。

 

 

いいことばだなあ。

わたし自身が今、

「大切なことを形にして伝える」

それをもっとしたいし

それをもっとしてこう

と考えていたので、これを見た瞬間はビビビッと感電した。笑

 

 

ちょっと話は脱線して。

 

自己理解を深めること、

それはすなわち

自分の「無意識」の「意識化」を進めること、

とよくきく。(きかない?)(ユングの心理学)

 

これを言い換えると、

自分の中にある思い、気づきなどを

「ことば」で表現できるようになれば

それはこころの「意識化」が進んでいるということ。

 

だから、

カウンセリングなりコーチングにおいて、

カウンセラーやコーチとのセッションを通じて

体の中で渦巻いているあいまいな形の思いを言語に表していくことにより

「今、わたしはこんな気持ちだったんだな」

「そっか、ずっとそうしたかったんだ」

「なんだ、これが引っかかっていたのか」

などなど

ざわざわ、もやもや、うじうじ、

どきどき、ゆらゆら、じわじわ、

な気持ちが「見えて」くる。「見つける」ことができる。

 

人と話してなんだかすっきりした、というのは

単に胸のうちを聞いてもらったということだけでなく

「ことば」という形にして出してみて

自分の心の意識化がまた少し進んだから

といえる。

相手に伝えるときは、同時に、自分に語りかけてもいるんだね。

 

で、話を戻すと、

・先ほどのポスターに書かれていることばを目にしてわたしのこころが反応した

・反応して「たしかにそうだな」とか「今わたしは伝えること大事にしたいんだな」とか感じた

ということは、ある種、

何気なく目にした情報にこころを動かされた自分の、無意識の意識化がすすんだ

といえるのかもしれない。

 

わたしたちは普段の生活のなかで

膨大な情報を見聞きし、瞬時に取捨選択を行っている。

その中で、ある情報が脳に飛び込んできて

なにかしら意味を持ってこころに響くということは

その出来事を味わったり省みたりすることで

今自分が大切にしたいこと、

今自分が考えていること、

今自分が見直そうとしていること、

今自分が仕掛けようとしていること、

これらぼんやりとりとめないことをもっと具体的に理解していくための、よい手立てになるんだろう。

 

無意識の意識化、

すなわち自分をもっと知ること

それは、何かを学んだり、人と話したりする中でも進むし

日々得ている情報とそれに対する自分の反応(それを見聞きしたときの感情や考えや気づき)からも進めることができる。

だから、

ただアンテナを張るだけでなく、

キャッチしたものを丁寧に手にとって眺め直したり、

受け手として、その都度濁りなくシンプルに味わえるよう自分に余白を持っておいたり、

時々はアンテナをキュキュッと磨いておいたり、

なんて心がけとくとよいのかな。

まああくまでもイメージだけど。

せっかく世界(社会)と接点をもって生きるわたしたちだから、普段から自分の感度と感性と理性を大事にして、世界(社会)から何かしら受信しながら、内省を深めて自分をよく知り、そしてまたそれをまわりに発信する。

そのスパイラルをうまくまわすことは、

自分の心がけ次第でいかようにもできるんだろうな。

 

 

神様は人へ伝える。

形のない大切なことを。

人は神様へ伝える。

大切なことを形にして。

 

ほんと、まるっと眺めても素敵なことばたちだなあ。

どんなライターさんなんだろう。気になる木。

 

 

 

Happy Birthday to Me!

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めでたく、歳を重ねました。

 

今朝は、

地元の、生まれた時から来ている神社を訪れ、

手を合わせる。

いのちを与えてくださったことの感謝を込めて。

今日まで重ねることができた人生経験に、感謝を込めて。

与えられたいのちとその役割を果たすことへの、誓いを込めて。

また一歩ずつ。

 

そういえば、

節目だし、と、おみくじを引いたら、

今年のお正月に引いたのとまったく同じおみくじを当てた。

大吉で、でもそんなことすっかり忘れてたのに。

はじめ、気づかずに、

しばらく黙々読んでみて「あれ?」と気づく。

 

お正月にこれを引いたときも、

一瞬は嬉しくなったけど

なんだかんだで仕事忙しくて、

先もあまり読めずで、どんより気持ちが重くて、

あまりその時はピンときてなかったんだよなたしか。

本人はそんなに順調ではない(気がする)のに、まったく問題なしです!と言われたような気分で。

 

でも今日、冬の日々をしっかり終えて、

改めて「順調ですね〜」と神様に肩ポンして頂いた気分。

大きな視点で捉えると、なんだかんだちゃんと軌道に乗ってるし心配ないよということだったんだなあ。深い。

 

Road to 2017、ずんずん進むぞ。

一点の迷いなし。

 

 

 

春ですね

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いま、春が来ている。

 

春、にぎやかでいいね。

世界が、いのちに溢れている。

木々も花々も人々も、わいわいと声をあげている。

 

いつも歩いている、石畳の道にて。

なんだかいつもと色合いが違うなあと感じて、

この感覚はなんでだろう、と少し味わってみた。

すると

石の合間から雑草がにょきにょき出ていて

道に瑞々しさを添えている、ということに気づく。

そんな光景を前にして

(正確には自分のこの一瞬の心の動きに対して)

この季節のテーマは「発見」なのかもしれないなあ

というインスピレーションが、じわじわと。

 

 

発見したり、気づきを得たりするテーマやその内容は

人によって様々なのだろうけれど、

概して、

この季節、わたしたちは、なんらかの発見や気づきなどを得やすい体質になっているのかもしれない。

車窓から「あ、あそこにも桜の木があるんだ」とか

道すがら「こんなところにタンポポが」とか

自然界において “気づかされる”瞬間が多い時期だから、

他の場面でも “気づかされる”ような出来事が、夏秋冬よりはちょっぴり多めな気がする。

 

 

言い換えれば、

この春という季節のもつエネルギーを

そのまままるっと受けとめて、自然体で過ごしていれば、

何かが生まれること。

何かが芽吹くこと。

何かが変わり行くこと。

何かが進むこと。

そんな方向を自然に向くし、味わされるという感じなのかな。

 

大地が、いのちの力に満ちている時期だから、

そこに立って生かされている私たちも同じような性質になり

新たに始めること、

次の一手一歩のヒントを得ること、

静(冬)から動(夏)に向けてシフト(春)すること、

膠着した関係や事象がなんら進展を見せること、

「なんだそういうことだったのか」と気づきを得ること、

などなどが起こりやすくなるんだろうなあと。

まあわたしが春生まれなので、

そんな風に活気づくことを人一倍感じるのかもしれませんが。

 

ついでに、最近の私が気づいたことをメモがてら。

気づいたというか、忙殺の日々ですっかり抜けていたものの改めて思い出したこと。

それは

なにげなく自明のこととして受けとめている

なんでもないようなこと、

それらは、実は、とてもかけがえのない一瞬であり一場面であるということ。

そして、それを見過ごすか、味わうかは、自分の選択次第ということ。

世界はいつもシンプルで、ただそこに在り、どう見るかどう感じるかはすべて自分が選択しているということ。

ごちゃごちゃ考えることもありだけど、結局は、ぐるっと一周まわると世界も自分も一瞬一瞬がシンプルでよいということ。

 

お風呂上がりに飲む、水の美味しさ。

生まれたときから今まで見守ってくれている、両親。

誕生日には「一歳」年をとること。

街の至る所で、いつもはそっと息吹いている桜の木。

春になると一気に花を咲かせて、「あ、見つかっちゃった?」と少し恥ずかしそうにでも嬉しそうに今日も生きている桜の木。

毎晩身体を横たえて休息をとり、次の朝目覚めること。

……

なんでもないようなことは、

それは、実は、もうそれだけで十分に「ある」ということ。

愛を湛えて、そこに始めからあったということ。

世界はいつも完全であり、わたしたちも完全なるものの一部なんだということ。

あとはそれに気づくだけでよいということ。

 

発見、気づき、自覚。

実感、経験、いのち。

始まり、喜び、感謝。

 

冬が長すぎた(仕事忙しくて心がどこか凍ってた)だけに今年の春は静かに愛でてるんだけど、そんなこんなで、なんだかいつもとまた違う感覚だなあ。

まあ多分これが、今年の春のわたしの「発見」とか「気づき」なんだろうとは薄々。

はーー

春、たけなわですね。

2016年度もよろしくお願いします。(挨拶好き)

 

今日のひとこと:

うーん

久しぶりに書いたら、なんだかいろいろ出てきた。笑

やっぱり書くのは楽しいし力になるし、

なんでか分からないけどなにより幸せだなあ。(大の字)