月別アーカイブ: 2016年5月

電池切れ

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はふーん(大の字)

連休終わりの切なさとかけて、

わたしの現在の右耳の補聴器状態ととく。

そのこころは、

 

電池切れ。

 

いつもは電池が切れたら

即交換なんだけど、

それもめんどくさい。

まあこんなゆるい夜もたまにはいいかな。

 

以前は、ひとと一緒にいるとき、

それが学校であれ職場であれ

電池が切れるのがこわかった。

だから、

だいたい1週間とか経ってそろそろ切れる頃かな〜と思ったら

先んじて新しい電池に交換していたっけ。

 

いまは、

聴力が少し落ちたこともあってか

切れることをあまり気にしなくなったというか。

いいんだかわるいんだかは別にして、

電池が切れても

人前で補聴器を外して電池を交換することを

あまり厭わなくなったのも変化のひとつ。

電車内であれ、職場であれ、割りとその場で。

 

むかしは、

わざわざトイレとかに入って変えてたぐらいなのにね。

中1のとき、

それで補聴器をトイレに落としてダメにして、

ひとり早退したこともあったなあ。

甘酸っぱい青春時代である。(遠い目)

 

さ、お風呂入ろう。

 

 

0.5から1のフェーズへ

 

 

今日は、立夏。

 

個人的には、

0から0.5になる季節(芽吹、萌芽、兆し、生まれる)

0.5から1になる季節(伸長、上昇、育ち、発展する)

そんなイメージ。

 

(追記)わかりやすいのがタケノコかなあ、と突然のゲスト出演:タケノコさん。笑

takenoko

 

このブログでも、今年は春についてたくさん書いたけれど(例:春ですね

春は「やさしい」「やわらかい」なんてもんじゃない。

実はいちばん、タフで、パワフルな季節だと、

この歳で、やっと知ったな。

それか、

この歳だから、知ることができたのかな。

 

20代ぐらいまでは、

わたしたちは、自らが成長のエネルギーのかたまりであり、

言うなれば、春の持つエネルギーと同調している。

だから春の強さに気づきにくい。同じだから。

 

30代もたけなわになり、

今年はとみに仕事の忙しさもあって

言うなれば、冬の閉ざした冷え切ったエネルギーと似ていたわたし。

季節が少しずつすすみ、春になっていくのは、

うれしい反面、なんだか苦しかった。

苦しいけれど、なんともうれしかった。

 

自分が、

例年以上に異質(冬)の状態になっていたことで

はじめて気づけた、春の本質。

明るさ、優しさ、柔らかさ

と同時にある

厳しさ、強さ、大きさ。

 

繊細にして、剛健。

丁寧にして、大胆。

温和にして、荘厳。

なにより、変化の季節。春。

 

そして、立夏の今日。

兆しを感じた季節から、また一歩先に。

変わることをおそれずに、また一歩次に。

蒔いた種を大事に育みながら、また一歩上に。

地球の上に生きる、

四季のある日本の大地に生きる、

生かせてもらうわたしたちだから、

自然界のエネルギーと同調しながら、

その歩みを、すすめていこう。

 

余談。

いつもはスマホでパシャリ、なんだけど、

今のあいぽんだと、

見た景色の美しさがうまく画に残らずもんもん。

なので、カメラを持って散歩に出てみたのが冒頭の一枚。

 

かしわ餅を食べながら

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昼食を終え、

かしわ餅にかぶりつくわたしに、

母が言う。

「ねえ、なんでかしわの葉なのか、知ってる?」

いやあ、知らない。

 

母、続ける。

「かしわの木って、新芽が出るまで、葉が散らないんだって。

子どもが育つまで待つから、縁起がいい、ということで(子どもの日にかしわ餅を)食べるみたいよ」

むしゃむしゃ食べながら、なるほどーそうなんだねと相づち。

「親の愛だわねー」

と誰に言うともなしに、しみじみ語る母。

うん、分かっているよ、母。

と思いながら、2個目のかしわ餅をむしゃむしゃ。

 

そういえば、

千葉県柏市も「かしわ」の木ゆかりの街なんだろうか。

(柏の木は、その生態から「子孫繁栄」ということで、その昔武士が重んじたらしいですね。地名:柏市も、名字:柏木さんもそんな願いが込められているのならなお面白いなあ。)

だとしたら

住む人たちはみんな

ものすごい親子愛に溢れちゃうのかしら

なんてどうでもいい思考回路がいま働いた。

 

あー

ゴールデンウィークも後半に入ったのか。

ずっと働くのは苦しいけど

ずっと休むのはすごい楽だな。るんるん

 

はる、たんぽぽ、いのち。

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なんでもないような道の、

なんでもないようなたんぽぽの。

 

でも

太陽の光に照らされて

嬉しそうに誇らしげに咲く姿が、

なんとも眩しく、

なんとも美しくて、

思わずパシャリ。

 

冬には何も無かったその場所に、

意志を込めて、いのちを咲かす。

0から1になる。

優しくも強さに満ちた季節、春。

 

道を彩り、季節を彩り、地球を彩る、

ひとつのいのちとの出逢いにほっこり。

 

こいのぼり

koinobori

空気ごくごく飲んで、

げんきよさそう、

こいのぼり。

 

風にすいすい泳いで、

きもちよさそう、

こいのぼり。

 

その昔、わりと本気で空を飛べると思っていた。

パーマンのマントを付けて、日夜走り回っていた。

パーマンが大好きすぎて、

きこえないなりに、

パーマン御用達のトランシーバーも買ってもらって、

片割れを妹に無理やり握らせて、

「もしもしパーマンです」

と、悦に入っていたんだそういえば。

目の前で大声で話すので、トランシーバーの意味はまったくないという。

 

音痴なわたしだけど、今もなぜか、パーマンの歌はうたえる。笑

 

風を全身にはらんで、みずからも風になる鯉のぼりを、

やっぱりかっこいいなあと見とれる自分と、

風を浴び続けるなか、ずっと目を見開いている鯉のぼりを、

目が乾いてつらくないのかしらと案じる自分と。

 

5月の空の下、鯉のぼりを眺めるときのいつもの思い。

いまはもう、空は飛べないと、分かっているけれど。

 

はじまった日

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ドミノ。

 

指のきもち。

『うー、早く押したい!』

『でも、やっぱりまだこわい…』

『いよいよかな?もういいかな?』

 

ドミノのきもち。

『くる?くる?』

『ひゃー、どうしよう。まだ心の準備があああ』

『はやく押してくれええ』

 

というわけで(?)

はじまりの日

と題して始めたこのブログも

はや234日目。

のんびり気まま更新から、少し気合い更新に切り替えます。

 

やっと動かせた指。

はじまった日。

 

『どうしよう、押していいのかな』

『いやーまだタイミングではないかも…』

なんて、指のきもちになってばかりの日々だったけれど、

とりあえずやってみよう(= 押してみよう)と決めたら、

今度は、ドミノのきもちがよく分かるように。笑

『とっくに準備はできてるよ!』

『こちらこそ、ぜひお願いします。』

『いよいよ始動だね〜』

 

指も、ドミノも、自分の中にある。

まずは、並べる勇気。

つぎに、押す勇気。

そして、倒れる勇気。

それを、遊び尽くす勇気。

なんといっても、楽しむ勇気。

なんどでも、やり直す勇気。

よっしゃあ。