こころの3D化

sarusuberi

毎日、あっついから、

8月に入ってからは

沿道の木々や花々も、心なしか存在感控えめ。

 

春先から初夏にかけては、

あんなに張り切って伸び伸びしてたのにね。

 

でも、

そんな毎日でも

無心に太陽の日射しを浴びて、

にこにこ幸せそうに呼吸をしている気がする。

もうちょっと、水は欲しそうだけど。><

 

さて、

数日前に書いた、こころの中のボールについて。

 

ひとは、起こった出来事に対して

脳というかこころというか

からだの中で「反応」をしている。

そしてその「反応」をボールでイメージしてみると、

今自分はどんなきもちなのかを「見止め」やすくなるし、

怒りや悲しみ、つらさ、などは

そこから少しずつほぐすイメージをしてみると、

自分のこころに向き合いやすくなる

・・・

というようなことを書いた。たぶん。(適当B型)

 

きっとこの感覚に近いと思うんだけど、

今日、道すがらなんとなく感じたことがあったのでメモがてら。

(メモと言いつつ、いつもより長文。長いメモ。笑)

 

今、テクノロジーがさらに発展してきて、

たとえば 3Dプリンターとか、

たとえば VR型ゲームとか、

新たな技術価値と感性価値が生まれ続けている。

 

平面的だったものを、より立体的に。

見るとか聴くだけだったものを、より身体全体で味わうように。

そのキーワードは、『リアル』。

それは、今まで脳の『想像力』で補っていた領域を、一気に現実領域に手繰り寄せたともいえる。

 

でもふと思うんだ。

相手や周囲に対する『想像力』があるから、

人はやさしく思いやりを持って生きられるのに、

こんなにどんどん立体化やらリアル化を進めてよいのかなあって。

 

『想像』することは、

そのぶん自分の中で『創造』すること。

 

ところが、

はじめから造りこまれていると、

自分なりに創造する余地がない。

ゼロではないけれど、自分なりの『想像』『創造』の振り幅はどうしても狭くなる。

(もちろん、全部が全部、そういう技術的発展ばかりではないけどさ)

 

例えていうなら、

小さい頃に絵本を読んでいて

自分なりにわくわくイメージを広げていた世界観を、

誰かがジオラマに再現したものをある日見させられたときに味わうギャップのような、

そんな感じに似ているのかなー。

 

まあそうは言っても、

ひとはどこまでも貪欲だから

テクノロジーの追求追究は今後も止まないのだろう。

うーん

進んだら、戻れないのにね。

うーん

うーん

どうせ (←あまり好きではない言葉だけどここではあえて)

ものの3D化が進むなら、

こころの3D化をもっと進めたいな、

なーんて。

 

こころの3D化とは。

自分の気持ちを認め、味わうこと。

自分の気持ちを味わい、客観視すること。

自分の気持ちを客観視し、ほどくこと。

自分の気持ちをほどき、放つこと。

そうして、自分を解放すること。

 

 

起こったことも、感じたことも、無かったことにはならない。

すべては、経験するべくして起こっていること。

でもさ、

嬉しいことや幸せなことはただ味わいつくすのもいいけど、

ショックなことやきついことは

事実を見つめるのも

それを感じている自分を受け入れるのも

難しくて葛藤が起こる。

頭も心もぐるぐるする。

 

だけど、

ふうーーっと息を深くふかーく吐いて

そんな気持ち(ボール)がここにあることも

そんな気持ちになった自分のことも

そんな気持ちを起こした出来事も

認め、受け入れ、癒し、感謝を込めて「味わいつくす」。

 

この暗いトンネルの出口がどこかなんて

皆目見当もつかないけれど、

「よし、味わいつくすか。」

そう覚悟を決めた瞬間、

手放しはもう起こりはじめている。

 

そうして

いつかそっと

自分の思い(重い)を解放したときには

それも込みで、人生経験のひとつとして自分の肚におち、

解放した分の新たな風が起こり、

なにかすてきなものが飛び込むんだろうなって。

なんかいいね。

 

いわゆるカウンセラーは、

対話のなかで、このこころの3D化を助ける職業ともいえるのだろう。

クライエントが自分の悩みを打ち明けるプロセスを通じて、

思いを言語化させることにより、

「見える化」を手伝っていく。

 

わたしは、人の悩みを聞くのはあまり好きではない性分だし

カウンセリングを生業にしている人はすごいなあとつくづく。

 

一方で、

こころの3D化は、

コツさえつかめれば各自が自分で出来ることだとも思う。

 

これからの時代は、

カウンセラーを必要とするひとと、

自分自身で自浄を進めるひとと、

二分化するのかもしれないねえ。

自分なりに自分と向き合い、癒し、進むことのできる人がもっともっと増えたらいいなあ。

そのために、わたしは何ができるだろう。何がしたいだろう。

 

 

今日のひとこと。

画像の花は、百日紅(さるすべり)。

今わりと満開で、他の木々が暑そうな中、

風にゆっさゆっさ枝を委ねて

夏を満喫してるようなその表情が面白いなー。

どの花も個性的だけど、百日紅の自由さ能天気さなんか好きだわ。

 

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