この遠い道程のため

zebra isolated

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

ああ、自然よ

父よ

僕を一人立ちさせた広大な父よ

僕から目を離さないで守る事をせよ

常に父の気魄(きはく)を僕に満たせよ

この遠い道程のため

この遠い道程のため

 

(高村光太郎 「道程」 1914年)

 

ふと脳裏をよぎった、

高村光太郎さんのこの詩。

なんだかもっと調べてみたくなって

ちょちょいとぐぐってみるの巻。

 

大正3年に発表されたこの詩は、

もともとオリジナルとなる原詩が発表され、

その数ヶ月後に、よく知られたこの冒頭バージョンが公開されたらしい。

原詩はぐぐると出てきますが(適当)

その出だしはこんな感じ。↓↓

 

「道程」           高村  光太郎

どこかに続いている大道を僕は歩いているのぢやない

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

道は僕の踏みしだいて来た足あとだ

だから 道の最端にいつも僕は立っている

 

何という曲がりくねり  迷い  まよった道だろう

自堕落に消え  滅びかけたあの道

絶望に閉じ込められたあの道

幼い苦悩に揉みつぶされたあの道

 

振り返ってみると  自分の道は  戦慄に値する

支離滅裂な  またむざんな  この光景を見て

誰がこれを生命の道と信ずるだろう

それだのに  やっぱり  これが生命に通ずる道だった

(後略)

 

なんかもう、

やっぱり言葉を紡ぐ世界はすごいね。

 

道は、足あと。

足あとは、道。

 

生命の道。

生命に通ずる道。

 

今のわたしが『道』ときいて思い浮かぶのは、

2015年の師走、

自転車でひた走ったオーストラリアのあの道

 

迷って島内の同じところをぐるぐるしたし、

きつい坂を前に背負った荷物も自分の体重ものしかかってきて窒息しかけたし、

全身から湯気が立ち上る暑さに水がおいしすぎたし、

雲ひとつない青空のした、

ああ生きてるんだなー

ああわたし幸せだなー

と風に吹かれながら、

ただ今この瞬間のいのちを味わうことを知った。

 

いのちといえば、

まもなく、

家族だった愛犬の命日。

 

10月あたまの新月の深夜、

しーちゃんは息を引き取った。

15年の生涯の最後の日々、

生き抜くってこういうことなんだ

という姿を見せてくれた。

 

本当にまったく動けなくなった数日は、

いっぱい抱っこもした。

今もこの手のなかにあった、

ふわふわの毛と

あたたかな体温と

たしかに脈打つ心臓と

荒いながらもどこか静かに繰り返される呼吸と

それに合わせて上下するピンクのかわいいお腹と

・・・

 

今も思い出すと悲しいしさみしいけれど、

しーちゃんはあのとき、

生きることの原点を

小さなからだで目一杯伝えてくれたんだと

信じている。ありがとう。

 

生きること、

息をすること、

地に足を踏みしめて立つこと、

一歩一歩、無心に、前に歩みを進めること。

 

あーよかったな、ちゃんと思い出せて。

生きることの原点、いのちあること。

そして、いのちを躍動させるのは自分自身の決意に他ならないこと。

 

いのち、呼吸、あるく、生きる。

いのち、鼓動、出会う、生き抜く。

いのち、躍動、すすむ、生きた。

 

道の最端、次はどんな景色が見えてくるだろう。

 

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