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“Finally”

 

  Finally, I can stop dreaming

  願い続けた日が ついに今スタートを切ったの

  Finally, I can stop wishing

  モノクロの世界が この瞬間 色づいていく

 

  いまここに立つステージで

  新しいストーリーがはじまる

 

 

 

安室奈美恵さん。

 

10代の頃、歌番組で踊る姿をみて

わーきもちよさそう!

わたしもこんな風に踊りたい!

とダンスを始めたんだっけ。

 

最近もなお、

ダンス好きなんですよ、最近は踊る場もないけど

という会話での

 

どんなダンスなんですか?

という問いかけには

 

そうですね、いろいろやりましたけど

特に好きなのは安室奈美恵さんのような感じ。

とすぐ答えるぐらいには

 

安室さんは

わたしのダンスライフには欠かせない存在で。

ぬふふふふ(楽しそう)

 

彼女が、自らの引退について語った

先日のNHKドキュメントで

個人的に印象に残った場面。

 

ドアの話。

 

20代後半頃

歌う自分がよく分からなくなった時期に、

求められている自分

こうあるべき自分

最適解の自分

そんな自分像を一生懸命考えて

道をつくろうとしていたという。

 

でもそうして開けに行った扉は

ことごとく

どれも外れていて。

 

そして

いろんなアーティストさんとコラボしたり

これまでやらなかった

新しい取組みをしながらもがく中、

 

あれそうか

自分が心から楽しむことを忘れていたんだ

自分が楽しいことを胸張ってやればいいんだ

という気づきを得たとき、

 

ドアは目の前に現れて。

 

そこからは

鍵なしですーっと、

次のステージに向かえたのだという。

 

自分が心から楽しいと思えることを、

胸を張って楽しむ。幸せを味わう。

 

生きること、進むことの原点なんですねこれ。

 

単純に比較できるものでもないけれど、

私自身の

ここ数年の沈んでいたきもちと

何が大切なんだろうかと思索し続けた日々と。

そして、

「ああわたしは、やっぱりこれが好きだ」

と心底好きなことにようやく気づき

全身が満たされたことと重なり、

胸がいっぱいになる。

 

 

そして、今度の引退を

「ひとつの通過点」

「終わりがあれば、はじまりがある」

と表現する彼女の表情が

またすがすがしく美しくて。

 

冒頭にも載せた「Finally」の曲中

こんな歌詞がある。

 

  守るものがあるから 信じてゆける

  希望あふれる 未知の世界へ

  胸を張って すべて感じたいから

  眩しく煌めく明日へ Finally

 

 

自分が大切にしたいことを

胸を張って好きだと言い、

背筋を伸ばして

でも力は抜いて軽やかに前へ。

ひとつのピリオドを打ち、

新しいストーリーを始めるために。

 

美しい歌だし、

安室さんが歌うから心に響くなあとつくづく。

ただでさえしみじみする季節なのに、

しみじみしすぎてる。

 

 

しかし、なんとも美しい40歳。

こんな風にキュートに

歳重ねたいものだわ。

 

久しぶりに、髪伸ばそうかな。

まずは前髪伸ばそう。(気長)

 

むすんでひらいた。

視線の先、

少し遠くの里山。

 

木々に新芽が出て、

もふもふと風に揺れている。

 

視線の先、

見上げた空の手前の桜。

 

風が運ぶ他の桜の花びらを浴びつつ、

今を盛りにもふもふ揺れる八重桜。

 

眺めるしあわせ。

見上げるしあわせ。

浴びるしあわせ。

 

うーん春爛漫。(ごきげん)

 

冬のあいだ、

ぎゅっと閉じていた木々や花が

ふわっと開く春。

 

そんな素敵な

いのちを解き放つ姿を前に、

「むすんでひらいて」

ということばがふと思い浮かぶ。

 

 

 

以前に書いた、心のボール

 

ぎゅっと閉じていたいのちを、

ぎゅっと結んでいたきもちを、

少しずつゆるめて、

解き放つ。

 

 

春のやわらかな土に

むずむずと揺り動かされて

春のふくよかな風に

ゆらゆらとほぐされて

 

季節の力を借りながら、

わたしたちもみんな何かを脱ぎ捨てる。

 

春だから、脱いで開いて軽くなる。

自然の摂理に自分を沿わせてみる、

うんいいね!(親指)

 

 

思えばいつも流れてきた

仕事始め早々、

わりに重要なプレゼンがあり。

一気にアクセル吹かして始動。

 

無事に終わり、ほっとするの巻。

ほっとすると、お腹がすくの巻。

遅めのランチに、あんまんを頬張るの巻。

あんまんといえば、小麦粉でできてるの巻。

 

というわけで、

案の定、腹痛発生。笑

 

分かっていたけれど、美味しかったしまあいいか。(よくない)

 

この週末は、

海外在住の友人が一時帰国しているので会いに行ったり、

久しぶりのピアノレッスンを受けたり、

あまりの冷え込みに勢いでコートふたつも買ったり、

自由気ままに過ごしております。

 

そうそう、

ここ数ヶ月、ちょっとしたマイブームがある。

それは、知らない街で本屋に寄ること。

 

ちゃんと数えたことはないのだけど、

おそらく年間 約150冊ぐらいは本を読んでいるわたし。

200冊は、うーんいかないかな?

でも、思えば、研究生活を送っていたときより

今の方が本を読むし、本屋にも寄るなあ。

 

で、これまではもっぱら

東京駅近くの丸善をはじめ、

お気に入りの本屋によく出没していた。

 

ところが

この週末もそうなんだけど、

あまりよく知らない街の、そこそこ大きめの本屋に寄ると、

どこになにがあるかまるで知らないので、

知らず知らず、普段目にしないジャンルやそのタイトルが飛び込んでくるわけで。

 

そうすると、

えっ、これ面白そう。

なんだろう、ちょっと気になる。

このトピックス、もっと知りたいなあ。

てな具合に、好奇心がむくむく駆り立てられるわけです。

普段なら手にしない本をいくつかお買い上げしてしまうわけです。

ちなみに今回わたしが買ったのは、

カメラと、米粉と、ストレッチの本です。笑

 

そしてふと、これって

脳にも同じことがいえるよなあとひらめく。

本屋、イコール、さまざまな情報としてみると、

わたしのしていることは、

たくさんの情報を、ちがう視点で眺めること。

世界は「ひとつ」だけど、場を変えるだけで見えかたががらっと変わる。

世界は「おなじ」だけど、わたしが変わるだけで感じることががらっと変わる。

 

 

おまけに、

もうひとつひらめきが。

 

知らない街のはじめての本屋に行くにしても、

なんらかのきっかけは必ずある。

流れがあって、そうなってるということ。

 

さらに言えば、

カメラの本が通りすがりに目に入って、

いつものわたしなら素通りなのだけど

その時思わず手にとったのは、

その日会ってた友人と、

「写真撮るの楽しいよね!」

「昔はまってたとき、どうやって勉強したの?」

「本読んで独学だよー」

と話していたのがなんとなくよぎったから。

 

そんな感じで、

今回わたしは

海外在住の友人に会いに行ったことがきっかけで、

はじめての本屋で、

不意にカメラの本をゲットしたわけで。

これからカメラにはまるかは分からないけど、

なんとなく楽しそうで、わくわくしている。

 

きっかけは、なにげないこれまでの「縁」「つながり」がつくってくれる。

流れるままに、だけど、ちょっとだけ違う波に飛び込んでみる勇気。

そんな意識を持っていれば、

きっともっと新たな世界が楽しめるんだなあ。

 

思えばわたしは、いつもこんな感じで、

のらりくらり流れながら、

でもちゃんと自分の足で歩きながら、

お!面白そう。わ!楽しそう。

というのに都度都度反応しながら、ここまで来たなあということを改めて自覚したのでした。

またひとつ、無意識の意識化が進みましたぱちぱち。

 

さらにアグレッシブに

まったく知らない人との交流会に行ったり、

未知の領域に飛び込むやり方もあるのだろうけど、

たぶんわたしには、このぐらいのスタイルが合っているんだな。

個人差はあるかもだけど、

自分にとって落ち着く、でもわくわくするやり方がいちばん。

うーん、面白いねえ。

 

 

 

明日、今日よりも好きになれる。

musique

ひょんなことから、ピアノを習いに。

週末、一時間ほどレッスンを受けた。

 

いやーーー

いい汗かいた。(違う)

 

衝撃のボイストレーニングから、一年の月日が流れ。

歌うことや声を出すことには

どうしても苦手意識があるので、

ちゃんと習うとかして克服したほうがいいのかな

と思ったりもしたけど。

 

でもね、

『苦手だから頑張らないと』

『できないから努力しないと』

はもういいかなって。

 

先のボイトレの場面で先生の思わぬことばに気づきをもらったような、

ふとしたきっかけのふとした瞬間の歓びを

丁寧に積み重ねていくだけで

もうそれはかけがえのない経験であり。

まだ努力の余地があるかな?ではなく、

ありのままに受けとることを自分に許したいなあと。

 

『きこえないからがんばる』(そうだよがんばらなくちゃ)

『きこえないけどできる』(まだまだ努力しないと)

はもう、お腹いっぱいだよ。

 

今の自分は十分に足りていて、

今の自分は完全に満ちていて、

今の自分は完璧に整っていて。

そんなふうに、自分が、自分を認めてあげよう。

そこから、進みたい未来、挑戦したい何かが湧いてくる。

 

で、

「じゃあ今のわたしは何をしたいかなあ?」

と思いをはせてみた結果、

「ピアノ、久しぶりに弾きたいな!」(大声)

となったわけです。

 

前置きが長くなりましたが。(前置きだったのか)

 

ピアノ、久しぶりでした。。

譜面をみて、ちゃんと音符に合わせて弾くなんてたしか中学生以来。

じつに15年ぶりぐらいのいきおい。いやもっとかな。笑

 

レッスンはface to faceで、まず挨拶と自己紹介から。

先生にピアノ歴を尋ねられ、

5歳から15歳頃まで10年ぐらいやっていたこと、

最後の発表会ではベートーベンの月光ソナタを弾いたこと、

それは第3楽章でけっこう背伸びして頑張ったことなどを。

 

「あら、上級者でいらっしゃるんですね!」

そんなふうに昔のわたしを褒めてくださり、

ちょっと照れるの巻。

現在のわたしは、すでに譜面さえ読めないなんちゃって初心者だけど。

だって、冒頭画像の音も

「うーん… ラ?」てな感じだからね。(正解はド)

 

それでも、

右手と左手分けながら指運びの練習したり、

先生に片手側を弾いてもらいながら二人で合わせてみたり、

とにかく譜面を読みながら、同時に指を動かして、鍵盤のうえで音を奏でていく。

 

うおおーなつかしすぎる!

むはあーたのしすぎる!

クラシックをやりながらも、

頭のなかはポップスとロックの世界。カオス。

 

自分の指の先から部屋に響くピアノの音と、

自分の指の先から身体の内に伝わるピアノの音と、

自分と、自分の指先と、ピアノとがたしかにつながり響き合う感覚と、

どれもこれもきもちよかった。

 

幼少時にピアノを習っていてよかったなと思うのは、

ピアノの鍵盤とそこから奏でられる音のイメージが今も身体のなかに残っていること。

それはどういうことかというと、

聴力が落ちて音楽を耳にしてもなかなか歌詞やメロディーが掴めずとも、

鍵盤のイメージをみて、その歌がなんとなくわかる、ということ。

 

 

たとえば、

最近だと、GReeeeen(e多いかね)の「キセキ」。

いい曲らしいと知りつつも、よく知らない。

そんなわたしが、どんな曲かなあと思ったときに先ずすることは、YouTubeでこう検索。

『キセキ(曲名)(スペースあけて) ピアノ』

 

で、以下のようなコンテンツを見つけて再生してみる。

 

ご覧いただくと分かるように、音を聴く+見る感じなのです。

 

声が入ってないから

メロディーと歌詞の符号は推測になるけれど、

曲のもつ旋律の美しさとかリズムのとりやすさも、

感音性難聴のわたしにとっては

楽曲を味わううえでの大きな比重になるので、

まずはまるっと味わえればおっけ。

 

あとは、

ピアノ曲の場合、人の声が入っていないぶん

純粋なメロディーをとりやすいというか

音そのものに集中できるのもよい。

 

で、これに耳が慣れたら、

実際のMV見に行ったり、声入りの曲を聴いたり。

そうすると、ただ楽曲を聴くよりも

予めメロディーや音の高低のイメージがついてるので

より歌をつかまえやすいというか。

要はピアノを使って予習している、のかも。

 

歌番組で披露している場面を見かけて好きになるパターンもあるし、

こんな風にリサーチした結果はまるパターンもあるし、

でも共通しているのは、どの楽曲も耳ざわりがよいこと。

なんていうのか、そのときどきの自分の耳とこころに心地よく響く音。

逆にいえば、そのときにぴんとこなくても

あとで「あ、この曲いいな」と突然はまることも多いし、

好きなアーティストであっても、耳ざわりがよくなければあまり聴かない。

 

なんだかんだ、音楽が好きなのです。

 

まあ、きこえない人の中でも

ちょっと独特のアプローチかもしれないけれど。

独特なのは今に限ったことじゃないしねえ。(他人事)

わたしなりの音の楽しみ方がどんどん見つけられて、これまた楽し。

 

いやーーこの歳でピアノ再開とは!

次はなにかな?ダンス?(ターンしながら)

ただいまにっぽん

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ただいまにっぽん。

帰国した空港の「おかえりなさい」の文字にじーんとし、

帰宅した我が家のあたたかい便座にじんわりとし、

なによりなにより

ベストフィットな自分の枕の寝心地にうっとりとし。

いいねえにっぽん。

 

おにぎりもおいしいし、

味噌汁なんて格別だし、

言うことないよにっぽん。

 

写真は、バンクーバーで訪れた

ビクトリアにあるガーデンのひとこま。

ちっちゃなトラックの荷台に

もふもふとした緑の芝が盛られているのが

かわいくて思わずパチリ。

 

I love this!

とさわいでいたら、

You are so artistic.

といったようなことを、同行してたカナダの友人に言われた。

そう?(ご満悦)

 

ロレンシャンの紅葉もきれいだったなー

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いろんな景色と、その彩りを見られた旅でした。

 

今回の旅では

トロント、モントリオール、バンクーバーと

カナダ間を横に移動したけれど、

現時点いちばん寒いのがバンクーバーとは意外。

 

そしてバンクーバー、

一日の気温が10~15度前後なのに

こんなに花咲いてるのはすごい。笑

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春は春で、また違う景色がみごとらしい。

すてき。

 

さて。

日本の秋は、これからが本番だね。

あーきのゆーうひーにー

てーるーやーまーもーみじー♪(熱唱)

 

 

行ってきます。

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担当していた大きめのイベント仕事と

そのラップアップも無事に終わり、

10日間ほどの秋休みを頂いて

ちょっとそこまで出かけてきます。

 

というわけで、

今はパッキング中。

 

パスポートよし。

カメラよし。

ウィンドブレーカーよし。

機内用クッションよし。

 

そうそう

これを忘れちゃいけない。

補聴器の電池よし。

 

本当は、あともうひとつ、どうしても持っていきたいものがあるんだけど、ううーん。

前回のオーストラリア・ニュージーランド旅のときも持っていった、旅の仲間なんだけど、ううーん。

 

今回は、夏旅ではなく秋冬旅のため

スーツケースに詰める衣類がかさばるので、

泣く泣く連れていくことを断念しなくてはならなさそう。

(と言いつつ、諦めていない)

 

それは、枕。笑

整形外科で、自分の首に合う仕様で作ってもらったので安眠必至なんですよこれ。

ああ連れていきたい。(苦悩)

 

そんな感じで、あまり進んでいない旅の準備でした。

 

では、しばしの間、行ってきま~す。

おっとサングラスも入れなくちゃ。

West Side Story

jumping

土曜日は、休日出勤、のち、ミュージカルへ。

劇団四季で、2月14日から開演した「West Side Story」を鑑賞。

楽しかった!

エキサイトした!

 

舞台はやっぱりいいなあ。

キャストの皆さんがステージを縦横無尽に自由自在に駆け回り、

その空間いっぱいに大きくパフォーマンスを広げてみせる姿。

とてもきもちよかった。

その昔、自分がステージに立つ側だった時代がなつかしい。笑

 

この演目を観に行くことになったきっかけは、ささいなこと。

もともと積極的に計画していたわけではなく、

お正月休みに、

好きなアーティストさんの舞台も最近ないなあ〜

何か面白そうなのがないかなあ〜

とぼんやり思案しており。

そして、

新聞かなにかで目に入った West Side Storyの文字に「おっ」と心が反応。

さっそく四季のホームページで残席をアクセスしてみたら、

ちょうど自分の誕生日の席番号だけが残っている。

「あーこりゃ決まりだわ」とそのまま予約手続きへ。

 

いまの時期は、休日に仕事をする場面も多いし、

昨年までのわたしだったら、

行きたいけど無理だな〜

となんとなく消極的に見送っていたと思う。

でも、

とりあえずまあいっか。

観たいんだものまあいっか。

で予定を入れてみたら、思いがけず目と心を潤わせてもらった。ありがたや。

 

さっき少し書いたように、わたしはその昔ステージに立っていた。

あるときは、大学構内の、小さなステージ。

あるときは、神戸かどっかの、大きなホール。

あるときは、東京のどこかの、文化センターみたいなところ。

あるときは、友人の結婚披露宴会場にも出没。笑

 

大学のダンス部の定例公演で、

このWest Side Storyの演目を踊ったことも。

スカートも、みんな色違いで作ったんだよなたしか。

なんとも恥ずかしすぎる、なつかしすぎる。

もちろんプロの舞台には程遠いレベルだけど、とことん楽しかった。

踊ることが大好きで、もちろん上手に見せられる(魅せられる)ようになりたいというのが日々の練習の動力でもあったけど、いま振り返ってみると、自分の中の感情だったりエネルギーを身体いっぱいに使うことがきもちよかったしやみつきだったんだなと。

 

首をぶんぶん振って、

腕をぐいぐい動かして、

腰をくいくい回して、

脚をえいやっと踏ん張って、

顔をくっと見据える。

自分がどう動くと、身体はどう動き、観客からどう見えるのか。

自分がなにを表現し、身体でなにを伝え、観客になにを残すのか。

結果を出すためには、プロセスにとことんこだわる。

プロセスにとことんこだわれば、結果は必ずついてくる。

 

踊ることは、身体を知ること。

踊ることは、内なるエネルギーを外に出すこと。

踊ることは、生きること。

ふらりと観に行ったミュージカルに、いろんなこと思い出させてもらった土曜の夜でした。まる。

 

「こんばんは、タモリです」の衝撃

roar

ワン!

と思わず言いたくなる画像だね、かわいい。

ワオオーン♪

もよさそう、気持ちよく、てらいなく出される声。いいね。

 

数年前、仕事をお休みして、2年弱の修学生活に入ったわたし。

単位をとるために日中通学もしたけれど、

普段朝から晩、それこそ終電まで働いていた日々とは一変して、

自分の裁量で、自分のペースで生活を送るようになった。

そうして少しうまれた、ゆとり。

 

その頃だったかな、当時使用していた補聴器の調子が悪く、

お世話になっていたお店に修理持ち込み。

そのとき、

テレビ横に備え付けられていた5センチ四方の白い器械に興味があって

「これ、なんですか?」と尋ねてみたところ。

「補聴器に、ダイレクトにテレビ音声をとばすものですよ」との答え。

この補聴器は、Bluetooth対応なので、

ストリーマーを装着すれば、

普段の補聴器はワイヤレスヘッドセット代わりとなり、

聞こえる人がヘッドフォンやイヤホン付けるのと同じような感覚で

音が直接耳に入ってくるようになる、とのこと。

>>オーティコン社 ストリーマーPro

 

早速、家で試聴体験をさせてもらうことにして、

テレビにアダプタを接続して、

実際に自分でストリーマーを首にかけてみると

Music Stationのタモリさんの声がよく聞こえて驚くの巻。

「こんばんは、タモリです。」

今までただのマイク握っているおじさんだったタモリさんが、

司会タモリさんに変貌。

その頃、すでに音楽番組にも字幕は付きはじめていて、

出演アーティスト同士のやりとり内容はそこそこ把握できていたし、

相変わらずダンスも大好きだったのでダンサーの動きも追っていたけど、

「音楽」そのものは今ひとつ楽しめていなかった。

進行性だし、やっぱり音楽はこのまま縁遠くなっていくかもなあと。

 

でも、このストリーマーを通してまた音楽を「聴く」ことができて。

ただの「絵」「動画」としての  ”見る”世界メインだったのが、

「音」「声」「音楽」をともなった ”きく”世界も、また光を放ってきて。

まさに、冒頭わんちゃんの画像が、

「ワン!(喜)」とリアルな吠え声をともなった瞬間なのであった。

テレビだけでなく、スマホやウォークマンの音声もワイヤレスで転送してきくことができるし、本当このストリーマーは便利。

 

ただ、

感音性難聴だから、音がきこえるだけでは内容を理解できない、

つまり、音楽がきこえても、その歌詞内容はわからない。

この曲好きだなと思ったら、

そのアーティストさんの歌を耳元に流しながら、

歌詞カードと照らし合せて、

「ん?今なんて歌ったんだろう」

(歌詞カードを見る)

「あーこの部分はこんな風にきこえるのか」

てな具合で、何度もなんどもなんどもきいて耳で脳で覚える感じ。

 

しかし面白いもので、

これはある種「耳をすます」「耳をつかう」という意味で

聴神経トレーニングにもつながっているようで、

依然聴力は低下しているけれど、

そこそこ人と会話ができるのは、読唇以外にもこんなことが関係しているかも。

 

 

音楽の世界を、また楽しむことができて本当に感謝!

たまたまだけど、学生生活に戻っていた時に、

少しきもちにゆとりがあるから、

その分楽しいことも飛び込んできてくれたのだろう

と今でも思う。

歌番組はわりと見ているほうだけれど、最近はなぜかナオト・インティライミさんの歌にもはまり、ベスト盤など買ってしまったいひひ。