カテゴリー別アーカイブ: Everyday life_ゆきの毎日

脱ゆきだるま?

snowman

立春とは、名ばかりの寒さ。

 

いろいろな検査結果や生活習慣を意識したところ、

耳鳴りであったり

きこえの悪さであったり、

どうもわたしの耳の状態には

からだの「冷え」は良くない影響があることがわかってきた。

 

なので、

以前より半身浴の時間を長めにしたり、

毛布を天然絹素材のものに変えてみたり、

週末は湯たんぽといっしょに過ごしたり、

あの手この手を楽しんでおります。

 

で、「冷えない」ことを前提にすると

冬の服装ってぶくぶく着ぶくれてきますね。

 

なんか、気がつけば、

リアルゆきだるま。

リアルにゆきがだるま。

 

春に向けて、少しずつ軽めの素材もまといたい!

と言いつつ、

電車下りたら寒かったので、とりあえず明日はまた着ぶくれそうです。笑

 

大豆から小粒納豆へ。

bike

うむ。

お正月に、まめに更新しますと言いながら、

おおまめ(大豆)並みの更新になっておりますねこれは。

ううむ。

 

というわけで、

本日から一週間これでいきます。

その名も

「小粒納豆は今日もぴかぴかつやつや粘ります更新」!

 

なんだそれ。

要は、まいにちの連続更新、やってみます。

数文でもいいから、来週日曜までまいにち書くぞ!(おー)

 

普段平日はどたどたしていることもあり、

「これ伝えたいなあ」とか

「この発見面白い、まとめてみよう」といった具合に

なにか書きたいこととその思考がまとまらないうちはあまり筆をとらないひとなのだけど。

そんな中でも、何かを書いてみる。

どんな感覚が生まれるかなあ、たのしみ。

 

それにしても、

うーん納豆食べたくなってきた。(そこ)

 

どこまでもいのち。

kirakira_eda

言わずと知れた、

木が大好きなわたしですが。

 

わりと知られていないのは、

冬の木がけっこう好きだということ。

ふふふ。(怪)

 

まっぱだかの、潔さにしびれるのかな?

粛々と寒さに耐え忍ぶ、我慢強さを尊敬するのかな?

来る春に向けて、日々蓄える眩しいエネルギーに嬉しくなるのかな?

 

どれも正解。

 

そしてもうひとつ、

わたしが冬の木が好きなわけ。

 

それは、空を見上げたときにとくに感じいる。

空の隅々までめいっぱい張り巡らす繊細な枝たち。

どこまでもいのちに満ち、

どこまでもいのちを満たす、

一所懸命に生きるそのすがた。

 

その佇まいに

青々と葉を茂らせる季節とはまた違う、

木の凛とした生きざまを感じるのです。

 

冬の空の下、

どこまでもいのち。

 

ネムノキ、ネムの木、おねむの木

Ficus umbellata

我が家には、

天井までつきそうな

大きなおおきなウンベラータがいる。

 

部屋のなかの観葉植物、いいよね。

さわやかな空気感になるし、

いのちの存在感もある。

 

うちにはいないけど、なんとなくネムノキの話。

 

ねむのき、ネムノキ、合歓の木、ねむの木、ネムの木

いろんな書き方があると思うけど

「ねむの木」とか「ネムの木」って

どことなく、その木が眠そうでかわいい。笑

「ねむのき」「ネムノキ」はもう少し記号的だもんね。

 

このネムノキの言い方ひとつとっても

表し方やその見方ってひとによっていろいろで、

ことばを使うわたしたちは

本当人間味溢れていていいなあ

とほっこりするのです。

 

名は体(てい)をあらわす、とよく言うけれど

それと同じかそれ以上に

ことばは体(てい)をあらわすなあとつくづく。

 

日々発することばが、わたしをつくる。

日々発することばが、わたしを形づくる。

日々発することばが、わたしの世界を彩る。

日々発することばが、わたしの世界となる。

 

人を人たらしめる「ことば」だから、

自分の口から、こころから、発することばに

責任を持って生きる人間でありたいなあと思うのです。

 

なんの困難もなく、なんの問題もなく、

今日も目の前のあなたと「ことば」を交わせること、

ただそれだけに

こころからの感謝を込めて。

 

あら、ネムノキの話が、なぜか真剣モードになってしまったな。笑

 

いのちのきいろ。

labrador

クリスマスの日に

我が部屋に飾り始めたひまわりが、

まだ一輪、げんき。

 

(指折り数えながら)

おー、ちょうど10日目ぐらいなのね。

 

冬は、夏よりは生花が長持ちするけれど、

そうは言ってもげんきに咲いていてくれるのは

なんだかほっこり嬉しくなる。

 

なぜクリスマスにひまわりだったかって、

赤と緑(と白)に染まる街のなか、

ひまわりの黄色が

元気いっぱい個性豊かな光を放っていて、

なんとも嬉しくなってしまったから。

 

黄色は、わたしにとっては

かけがえのない「いのち」のいろ。

もともと元気をもらえる色だけど、

光が溢れるとますます輝きはじめる、「いのち」のいろ。

 

まだうまく言えないのだけど。

わたしたちはみな、

からだを、こころを、生きている。

だけどその前に、

「いのちを生きる」

そんな原点をふと思い出す色、

それがわたしにとっての黄色。

 

きいろ

が強まると

きんいろ

だもんね。

またいつか機会がくれば、したためてみたいなあと。

 

 

さて。

今日は、帰省していた妹も自分の家に戻り、

なんとなくさみしいわたしたち。

 

そんな空気のなか、

母いわく、

「あれだけゲーム三昧だったのだから

このまま止めるのではなく

ちゃんと整理体操をしておかないとだわね!」

いや、単にあなたが好きなだけでは、、

 

というわけで、また今日もゲームを少し。笑

 

あーー、お正月満喫したな。

明日から徐々に平常運行へゴー。

 

追伸

今は我が家にはワンコはいないけれど、

家族が揃うと、自然と思い出されるもうひとりの家族。

いつかまた犬を飼うことがあったら、

写真のレトリーバーとかもいいな!

 

どんぐりてりてり

acorns

週末、

神社の境内でふと拾い上げたどんぐり。

ご神域だからむやみに採ったり捕ったりはしないことを理解しつつも、

なんだか無性にかわいくて、

一粒だけ『いただきます』と持ち帰ってきたどんぐり。

 

まだ緑がかった、よくいえば翡翠色の照りをしたどんぐり。

自室の棚にころんと転がしておいた。

 

今朝、

身仕度をしながら、

小さくて丸いものがなんとなく視界にはいる。

ん?

そうだどんぐり。

んん?

きれいな茶色に変わってるー!(喜)

 

いつの間に、このこの。

なんだかいのちのパワーを感じて、

朝から幸せな気分になったのでした。

 

同時に、

人間であるわたしにとっては

この間「3日間」という時間だけど、

どんぐりにとっては

単純に「色づき完了した」時間でもない空間でもないただの変化

なのだなと気づく。

 

うまく言えないけど、なんかいいな。

どんぐりの、生き方、生きざまだね。

さしずめ、

概念のなかに自分を押し込むのではなく、

自分のなかにいろんな概念が生まれるかたち。

 

どんぐりころころならぬ、

どんぐりてりてり。

 

Half full or half empty?

kame

ここ1ヶ月のあいだに読んだ本は

著者もジャンルもばらばらな10数冊なのだけれど、

数日前に読んだ本にも取り上げられていたし、

今日読み終えた本の中でも触れられていた

あるフレーズが。

 

Is the glass half full or half empty?

 

この秋、講演会などの場で聞いたのも含めると、

これで三度目だな。

いや、ざっくり聞き&斜め読みなわたしが気づくぐらいだから

本当は四度五度目ぐらいなのかも。笑

 

これはご存じのかたも多いかもしれないけど、

コップに半分まで水が注がれていて、

それに関する問いかけ。

わりとよく知られているらしい。(よく知らなかったわたし)

 

「このコップには、半分入っていますか?

それとも、半分空っぽですか?」

 

そのときに

半分も入っている、と思うか

半分も空っぽ、と思うかの違いは

つまり

同じ物事でもいかようにもとることができるとか、

ポジティブに受け取るのもネガティブに捉えるのも自分次第、

といったメッセージがあるのだけど。

 

数年前のわたしなら、有無を言わさず

フル!フル!(能天気)

と答えていたと思う。

 

今はどうかなー

空っぽでもあるよなあと思案したのち、

(The glass is) just half-watering.

なーんて思うかもしれないな。

 

ふあー

なんだかお疲れ気味なので、

思う存分ふかふかの布団にくるまって

昼夜問わず寝ていたい気分。

ますます秋ですね。(まとめた)

 

 

ひこうきこわい。

tree

以前、留学も考えていたくらい、

もともと海外滞在は好きなわたし。

 

でも、ひとつだけ、

渡航するにあたって

ゆううつで苦手なことがある。

 

それは、飛行機でのこと。

 

乗るのがきらいなのではなく、

降りるのがきらいなのでもない。(そりゃそうだ)

乗っている間は寝たりゲームしたり字幕版あれば映画見たりとゆるゆる過ごすし、それもだいじょうぶ。

 

一言でいうと、

離着陸の際の気圧変化がだめ。

 

乗り物内での気圧変化については、

難聴の有無にかかわらず

平気なひとと苦手なひとがいるみたいだけど。

 

わたしは小さい頃に、

比較的高い山への登山も

ドクターストップがかかっていたために

遠足をお休みしたこともあるぐらいには、

鼓膜等の耳の状態が気圧変化の影響を受けやすい。

今はだいぶ慣れたけれど、

昔は新幹線のトンネルも耳が圧迫される感じがしてつらかったもんなー。

 

なので

今でもドクターストップと言わないまでも、

耳へのリスクが結構高い飛行機。

 

本当は乗らないほうがよいのだろうし、

実際、20代の頃は控えていたこともあった。

 

でもまあ、死ぬわけじゃないしね!

 

控えていてもきりがないので、

回数はあまりこなせないけれど

ある種の割りきりを持って乗るように。

 

とは言え、

耳が痛くていたくてだね。。

 

離陸時よりは、着陸時がきつい。

とくに、成田に降り立つ便は毎回しんどいかも。

鼓膜の痛さと、その後の聴力悪化の度合いが。

 

今回も、

日本に到着してしばらくして痛いのは治まったけど、

右耳が相変わらずきこえないままである。

ずっと耳栓とかヘッドフォンしてるような感じ。

 

さっき、

『もしや電池切れ?(ポジティブ)』

とひらめいていそいそと変えてみたけど違った。笑

まああと数日、様子を見てみよう。(適当)

 

今回の旅行中、

カナダ国内でも移動のために飛行機に何度か乗ったけど

これほどの痛さや聴力低下はなかったのになー

日本の場合は地形の都合で急降下するとかあるのかな?

よく分からないけど。

 

それにしても、

今後技術がもっともっと発展しても、

もうしばらくの間は

飛行機と気圧変化

という地球の自然界の現象は変わらないのかな。

そう考えると、やっぱり地球ってすごいね。(そこ)

 

ああひこうきこわい。

着陸に向かう飛行機の中で、はにわのような表情をした脱け殻化している人がいたらそれはきっとわたしです。

 

ペットボトルがひしゃげるように、

体内の『圧』が下がったままと思われるので、

今日は仕事終わりにジム寄って、

ちょっくら活性化してこよう。

ポンッと抜けたらいいなあー。

ほかほかのお風呂も楽しみだ。よだれ。

こんなことって

sunset

 

わー!

と口を開けて驚くできごとって

日常、そうない気がするのだけど。

 

今日、仕事を終えて、

電車に乗り込んだとき、それは起こった。

(いつもの高速列車)

 

席に座り、

先ずはいつもやっているように家にメール。

『●時●分 品川発乗りましたよ~』

 

あと、

わたしは今朝仕事都合で家を出るのが早かったので、

同じく出かける予定だったにもかかわらず

早起きしてサポートしてくれた母に対して、

『朝早くにありがとうね!お出かけお疲れ様』

と追加コメントを送ってみる。

 

数分後。

ピカピカっと着信ランプが光って、返信が。

 

母からである。

 

『同じ列車かも、5号車に乗ってます』

 

ほう!

 

以下、わたしの心の声をお送りします。

 

そうか、今日は東京出かけてたから

東京から乗ってるんだねなるほど。

 

で、

ちなみにここはなん号車だっけ

 

あ、5号車だ。

 

いるかな~?

と首を伸ばして、車両内をちょっと見渡してみる。

 

でもみんな前を向いてるし、わからないかあ

と視線をスマホに落とそうとしたとき。

 

前の座席の人の後頭部が目に入る。

 

どっかで見たような色合い…

(黒とグレーと栗色のオマージュ)

どっかで見たような髪質…

(けっこう剛毛)

…!

もしや!

 

急いでメール。

『もしかしたら前の席にいるひとかも、わたしは10番だよ』

 

前の席の人の後頭部を、しばし見守ってみる。

そしてそして

前の人がゆっくり振り向く。笑

 

母だ!!笑

 

わー!

ふたりとも開いた口がふさがらない。

 

窓と座席の隙間から目を合わせて、

思わず笑い合う。

すごいねえ。

あらまあすごいねえ。

 

ちなみに

わたしはいつも乗る時間は決まっておらず、

もっと言えばいつもは5号車には乗らない。

なんだけど、

今日はなんとなく

いつもと違う車両に乗るのもよいかな、

なんてふらふらっと乗り込んでみたのでした。

 

母は母で、

予定ではもっとはやい列車で帰るはずだったけれど

お姉さんにお付き合いしてて遅くなった、

さらに

もっと前の座席に座ろうとしていたけど

子どもがうるさかったので

後ろに移ってきたのだと。

 

ああよくできてるね。(大の字)

もう人生って、実によくできてるね。(仰向け大の字)

 

普段のわたしを知っているひとは分かるかもだけど、

わたしは基本的に能天気かつ単純な人間なので

こういうできごとには感激しまくり。

 

うん、

なんかいろいろと「合ってきた」なあと感じる。

滞っていたものが、

淀みなくてらいなく

流れはじめたな。

 

自分の直感通りに信じていいし

自分の感覚通りに動いていい。

そんな太鼓判を押してもらったような気分。

 

そんなこんなで、

思いがけず、通勤帰りに、母と話しながら帰った秋の夜。

リラックスしてしまい、欠伸が止まらなかったわ。笑

何度も、何度でも。

rain drop

連休の谷間、今日は在宅勤務。

本棚が運び出されて、すっきりした部屋で仕事。

せっせっせ。(効果音)

 

雨模様の空は、きらいじゃない。

もくもく流れる雲を、ぼんやり眺めたり。

ゆるゆる散りゆく雲を、静かに見守ったり。

ぐんぐん迫る雲を、わくわく迎えたり。

 

雨模様の道は、きらいじゃない。

雨のしずくを、一身に受けとめる草花とか。

雨の打つリズムを、リズミカルに伝える木々の葉とか。

雨のにおいを、ふわっと際立たせる地面とか。

 

雨模様の窓は、きらいじゃない。

濡れたアスファルトに映る、ヘッドライトのゆらゆらした光。

新幹線の車窓に行儀よく整列して、時に斜めに時に真横に走るしずく。

まるで涙のように、いっぱいたまるとガラス面伝いにつつーっと落ちるもうひとつの雨。

 

外は雨、中にはわたし、へだつ窓。

 

個人的には

雨って、

「絶え間ない」

「繰り返す」

「循環する」

といったイメージがあるのだけど

その関係か

「何度も、何度でも」

というフレーズが連想される。

 

きこえないわたしは、歌をきくとき、

歌詞よりも先に、

そのメロディーの響きや全体的な雰囲気、

またはダンス振付や映像といった視覚情報に

インスパイアされる。

 

こちらのRADWIMPSさん「ラストバージン」は

ミュージックビデオが面白くて、

なんだか心にはまった作品。

 

数年前、

見かけた映像が印象的で、興味をもって、

歌詞を調べて覚えたんだったかなー。

 

このMVの世界観と、

途中登場する「何度も、何度でも」のフレーズの親和性も味わい深くて、

こんな秋の雨の日は、なんとなく思い出す一曲。

 

 

何度も、何度でも、同じことで悩んでもいい。

何度も、何度でも、同じことで泣いたっていい。

何度も、何度でも、同じことで苦しくたっていい。

わたしたちは、すぐに変わることのできない存在だから。

 

変わることができないのは、

イコール、代わることができない、

かけがえのない本質を持つゆえんとも思う。

ひとは、一貫性のある存在だから。

 

昨今、成長とは変化し続けること、

と取りざたされる傾向があるように感じるけれど、

ムダなものをそぎおとし、その人の本質に立ち戻ること、

それも成長なんだよなと。

 

何度も、何度でも。

同じことで悩むこと、苦しむことを

自分に許してはじめて、

また新しい自分への一歩を踏み出せる気がする。うん。