カテゴリー別アーカイブ: Healthy life_すこやかに生きる

世界を彩る力

 

わたしはつくづく、

 

なにげない日々のなか

なにげないささやかなできごとを

あたたかいまなざしで見つめ、

 

そしてあたたかく感じることのできる

あたたかい感性をもったひとを

人として好きだなあと思う。

 

 

まなざしひとつで

見える世界はいくらでも変わる。

 

どこかで聞いたセリフだと思ったら

このブログで自分が書いていた。笑

目の色」について。

 

2015年9月、

2回目の投稿なのねこれ。

だいぶ昔に感じるもんだ。

 

自分のまなざし具合(目の色)で

世界はいくらでも彩られる、

本当そう思う。

 

「世界を彩る力」が宿った

瞳に勝るものはないですね。

 

 

なんでこんな話はじめたのかなあ

と、ここ最近の自分を振り返ってみたら

ものもらいになったんだった

そういえば。

 

たぶん小学生とか

それぐらいぶり。

眼科なんて滅多に行かないので

かなりびびりながら診察して頂きました。

 

そして、

目薬もびびりながらさす。

慣れてないから、

なかなか目に入らないという。

 

 

いやー

なにごともなく

世界がありのままに見えているって

本当すばらしい。

 

見ること、聞くこと、話すこと、

歩くこと、薫ること、味わうこと。

 

与えられたこのからだで

世界をとことん楽しむ、

それぐらいの気持ちで

日々過ごせたらいいなあと。

 

オフィスにいると

頭ばかり使っているけれど、

体を使って生きることも

やっぱり大切にしたい。

 

 

さて。

 

空気がまた一段と冷えて、

凛とした季節の到来ですね。

 

背筋がぴんと張りつめ、

鼻孔もきゅっと締まる初冬の空気。

とくに晴れた日の朝は、

きもちがいいですね。

 

なーんて

爽やかぶりつつ、

わたしは

日に日に布団から

出られなくなっております。

 

YA BA I

 

ただでさえぬくぬくと寝るのが好きなのに、

湯たんぽいれた日には

もうもうもう(牛)

 

 

 

どんどこ、ヨガ、重心

 

相変わらず、鼻はどん詰まり。

なんだか

どん詰まりを通り越して、

どんどこ詰まり。

 

週末、のんびり休んでいればいいのに

いそいそとヨガ行っちゃったからかなー。

でも、行きたかったのですよ。

先週は休日出勤やらで行けなかったから余計に。

 

ダンスにはまってた20代前半までは、

ヨガやピラティスをかじっても

その良さがあまり実感できず、

ヨガる時間があれば

一分一秒でも長くダンスしてたい!

て感じだった。

 

今も時々、ああダンスしたいなー

と思うこともあるけど

どちらかというと

体はヨガを求めている感覚。

 

日々、踊っていた頃は

動けるままに舞うのがきもちがよくて

あまり深く考えてなかったけど、

からだの使い方って、知れば知るほど奥が深い。

 

たとえば、足の重心のかけ方。

 

・親指の付け根のふくらみ部分(拇趾球)

・小指の付け根のふくらみ部分(小指球)

・かかとの外側寄り

・かかとの内側寄り

この4つの箇所に均等に体重をかけることが

身体にもっとも負担がないらしく。

 

そのことを教えてもらったあと、

日常生活で

駅のホームで電車を待っているとき

シンク前でお茶碗洗っているとき

洗面台で歯を磨いているとき

自分の体重のかけ方に

ふと意識が向くようになった。

 

わたしの場合、

かかとよりはつま先に体重が寄るし

茶碗洗うときは右足の外方向に偏るし

親指付け根を意識するのけっこう難しいし

でも

右足だけ外反母趾気味な理由がちょっと分かってきたし

扁平足なのは生まれつきと思ってたら改善できるらしいし

立つことが楽しくなってきて電車の時間も苦にならないし

なかなか奥が深いですね。

ししししし。(お気に入り)

 

 

はーー、からだ、おもしろい。

 

小さい頃は

耳がきこえないことは

単純に自分は

きこえないからだ(時々不便)で生まれた

のだと受けとめてたけど、

 

30代になってから

さらにここ数年の低調期から、

からだに思う存分向き合う人生を

贈ってもらったのかもしれないとふと。

 

 

 

堪忍袋

堪忍袋の、緒が、切れる。

プツーン(効果音)

この3月に入って、

ある人に対して見限りをつけた。

 

以前から、なんとなく、

変わった人だなー

あまり関わりたくないなー

と思いつつも、

接点を持たざるを得なかったひと。

 

接点がある以上は、

相手は変えられないから、

自分の関わりかたを工夫したり、

自身のひととしての素行を見直すきっかけにしたり、

あの手この手で工夫もした。

 

でも、この3月。

とある場面で、

その方の意地悪く

一言でいえばなんともむかつく対応を

目にしてしまい、

 

「あーーー、もうだめだ。」

 

と、思った。

 

 

ここにきて、

わたしはようやく、

 

数年来の

「この人が、大きらいだ」

という事実を認めたのです。

 

苦手というかきらいというか、

うんぬんかんぬん、

のらりくらりはぐらかしてきた本当のきもち。

 

うん、大きらいだ!!(大声)

 

・・・と思ったら、

次の瞬間、

 

うん、そうだそうだ!!

 

という、

合いの手が全力で入ってきた。笑

 

さらに、同時に、

見ないようにみないようにしてきた

自分の怒りのきもちが、

堪忍袋になって

どーんと目の前に置かれた。(気がした)

 

不思議なもので、

見ないようにみないようにとふたをするほど、

その気持ちは、

クローズアップされて

苦しくなる。

 

でも、

そうだよね、と正直に認めると、

一瞬、肯定されたただけでも

ふっと力が抜けるというか。

 

そうして、目の前に置かれた堪忍袋。

 

どんな柄してるの?

どんな紐で結ばれてるの?

このタオルの柄、堪忍袋っぽいな!

なーんて、どうでもいい妄想が今は楽しい。

 

思っていた以上に、可愛かった堪忍袋。

これ、

「こころ」の見える化のひとつとして

案外使えるアプローチかもしれないなー。

 

いらいら、もやもや、ぐつぐつ、むかむか、きりきり、心のなかに生まれるネガティブなエネルギー。

蓋はしなくていい、

どんどん自分の堪忍袋に放り込もう。

そして、

緒が切れる前に、ふわっと空にでも解き放てばいい。

 

 

グルテンフリー生活 8日目

panda

あーーー

今年は、いろいろと気づきを得ることが多い。

とりわけ、からだのこと。

 

最近も、またひとつ。

 

どうやら、グルテン不耐性の体質らしいよ。

 

小麦粉アレルギーとまではいかないけど、

小麦粉を摂取すると、調子がわるくなるというあれ。

 

今のいままで、そんなこと意識しなかったのにな。

 

きっかけは、ひょんなこと。

 

先日、料理学校に通う父から、

「今日作ったクッキー、よかったら食べて」

と差し入れが。

(ちなみに父の名誉のために申し上げておくと、父はクッキー担当ではなく別のメニューを調理していたそうな)

 

クリスマスツリーの形をした、小麦色のクッキー。

端の方はよく焼けていて、パリッと香ばしい。

もう一枚、とつい手がのびる。

うんおいしい、もう一枚。

厚みのある真ん中らへんが、

パリッとではなく若干ふわっとしてるような。

まあ手作りだしこんなものかな、と完食。

 

そして、翌朝。

おなかいたい・・・

平日なので、ひとまず起きて、身仕度整えて、朝食のテーブルに向かうもぐるぐる。

無視して食べてみようとするも、やっぱりぐるぐる。

あーだめだ。

 

急きょ、午前半休をもらい、

とにかく丸くまる~くなって、布団で寝こける。

 

その日は、そのまま在宅勤務にするも、

翌日も具合の悪さは抜けない。

そんなわたしに、母が言う。

「あなた、小麦粉アレルギーじゃない?」

 

ええー、んなわけない、

と思いつつ。

『でもそういえば・・・』と心当たりがじわじわ。

ビールはお腹膨らむから好まないし、

ラーメン好きだけど量に関わらず後で苦しくなるし、

まあその他細かくは書かないけど

ししし。

 

あと、そんな(お腹痛い)出来事があったなか、

とある方にお会いする機会があり。

帰り道、立ち寄った書店で、

その方の新刊を手にとってぱらぱらめくったら、

小麦を断つ

の文字が飛び込んできた。ほほう。

 

うん、ちょっと気をつけてみよう。

そんなこんなで、グルテンフリーを意識して8日目。

食べないと、たしかに身体が楽かもしれない。

軽いというか、自分がいつもより透き通ったような心持ち。

 

でもね、

クリームコロッケ食べるわ、

カレー食べるわ、

うっかりは尽きない。

ていうか、普段、小麦をいかに摂取していることか。

あれもこれも小麦なのね・・・

 

ちまたで話題の、ジョコヴィッチ選手のグルテンフリー本も購入。

英語の原題は

Serve To Win

The 14-Day Gluten-free Plan for Physical and Mental Excellence

とある。うーんなんだか強くなりそうだ!

 

まあわたしの症状はさほど重くないし

比較的軽度のほうだとは思うけど、

にわかにグルテンフリーをうたいながらも

ブログタイトルがパンの耳ってどうなのか。笑

 

まっすぐまっすぐ

yakusugi

まっすぐ、まっすぐ。

 

まっすぐ立ち、

まっすぐ伸び、

まっすぐ進む。

 

しっかり立ち、

しっかり根を張り、

しっかり沈む。

 

空へ空へと枝を広げることは、

地へ地へ根を張り続けること。

天へ、大地へ。

地へ地へ根を張り続けることは、

空へ空へと枝を広げること。

大地へ、天へ。

 

まっすぐ立ち、

しっかり立ち、

今ここを生きる。

 

以前は、

伸びたいなら先ずは根を張らないととか、

やっぱり見えないとこでの努力なのかなとか、

でも上へ上へと向かう勇気も大切だよなとか、

考えていたけど。

 

今はただ、

まいにちを一生懸命過ごしていれば、

自然と

空へも大地へもちゃんと伸びてるんだって

自信と確信がある。

 

ひとはみんな、

自然界ともつながる存在だから、

言ってみれば、

まわりのいのち(たち)と同じエッセンスを持ってるんだよねきっと。

 

にんげんだけが

特別ないのちではないし、

一方で

自然界の美しさを、ちゃんとわたしたちも備えているわけで。

屋久島に根付く巨木と同じく、地球に生きる「いのち」だから。

 

だから、

無理してバランスをとろうとしなくても、

そのまま誠実に丁寧に歩んでいれば

それだけで貴くかけがえのない「いのち」として

輝きはじめているんだきっと。

 

そんなことを、近所の神社にいらっしゃる

樹齢うん百年の欅を眺めながら。

 

あー

それにしてもなんだか

時間のなかを流されて生きるだけでなく、

もっと、風のなかを流れるように生きたいなー。

 

追われるのではなく、

追いかけるのでもなく、

空におよぐ雲やら風にそよぐ木々やらのように

ただただ、漂いながら。

ただただ、いのちのままに。

 

9月9日、このブログ始めてまる一年になる。

他愛もないまいにち、

かけがえのないわたしのいのち。

 

追伸:

木が好きすぎて、木になりたい今日この頃。笑

写真は、屋久杉。

来年あたり訪れてみたいな!

 

むすんでひらいて

image

昨年訪れた、オーストラリアでのひとこま。

まだ一年経ってないけど、

ずいぶん昔のことのように感じる。

歳かな?笑

 

海、砂浜、太陽、波、サングラス、はだし。

あたま空っぽにして、

砂浜にはだしの脚をなげて、

遠くの水平線をぼーっと眺めた幸せ。

 

さて、

今日はそんな風に穏やかではないときの(笑)

こころの見つめ方について、

個人的気づきをメモがてら。

 

何かに怒ったとき、

何かにいらいらしたとき、

何かを嘆いているとき、

何かを憂いているとき、

何かが悲しいとき、

何かがつらいとき。

 

わたしたちの心のなかには、ボールが現れる。

ふつうのテニスボールや野球ボールではない、

ちょっと変わったボール。

 

あるときは、端切れを寄せ集めたようなたま。

あるときは、丈夫な太紐をぎゅぎゅっときつく結んだようなたま。

あるときは、チェーンをがんじがらめに縛ったようなたま。

 

これ、”感情”のボール。

“反応”のボールと言い換えてもいいかも。

 

なにか出来事があったときに、

とりたてて自分の中で反応しなければ生まれないけれど、

思考の癖であったり、

いわゆるバイアスをかけて眺めたりすると、

ぽろっと心の中に生まれるボール。

怒り、悲しみ、驚き、なんらかのかたまり。

 

「あ、ボールが出てきたな」

と思ったら、

一瞬たじろぎながら、

次の瞬間にはつぶしたり投げたりしたくなるかもしれない。

蹴っ飛ばしたい勢いのときも、あるだろうね。

 

でも、まずはボールがこころの中にあることをみとめる。

それだけでいい。

認める、というよりは、「見止める」。

「あ、今、わたし反応してるんだ」、と。

 

そして、ゆっくりとほどきはじめる。

ぎゅっと固くなっていたり、こんがらっているボールを

時々もんで空気を入れながら、ゆるんだ箇所をつくり、

ゆっくりゆっくりほぐしていくイメージ。

 

絡まったネックレスのチェーンを、

指先でつまみ、手を動かしながら、

どこがほどき目かなー?とじわじわ攻めていく感じ。

 

むすんでひらいて。

 

最近読んだ本に、グーになった感情は、

パーにしてゆるめてあげるとよい、という一節があり。

なるほどなあと思いつつ、

わたしの場合は、ボールでイメージするとより気持ちがほぐれやすいなあと。

 

人によっては、

知恵の輪だったり

ルービックキューブだったり

風船だったり

いろんな「感情」「反応」の表し方があるかも。

 

大切なのは、自分の感情の見える化と、

それを客観視しながらよりフラットに落ち着けていくこと。

ボールも自分の分身のようなものだし、

可愛がりながら、でも最終的にはほどきまくればいいんだね。うしし。

 

 

今日のひとこと:

旅をして、こころに響く景色が増えると、

その心地よい音色があとあとまでよみがえってくる。

もしちょっとぐらいいらいらしても、

その時間空間を、こころの中でよみがえらせられると

途端にいらいらも帳消しになるから、

旅の充電効果ってすごいんだなとつくづく。

 

 

腹八分目とは。(悩)

green bristlegrass

 

ただいま、腹八分目キャンペーン中。

・・・

・・・

・・・

腹八分目って、ナニ?(片言)

 

基本的に、

時間があればいくらでも食べていたいし

こと好きなものなら一日中食べていられるし

実際にそうしてじんましん出して医者にかかったこともある人間なので、

(たとえばたまごとかたまごとかたまごとか以下略)

 

気がつけばもう何年も、

「腹八分目」なることばと無縁であったよ。

だから、

なんとなく

腹八分目キャンペーンを始めてみたはいいけど、

腹八分目がわからない!!という苦悩。笑

 

ただいま、

暦の上では土用で、

二十四節気でいう大暑(たいしょ)の時季。

この土用を過ぎた8月7日前後には、立秋を迎える。

 

夏の陽から冬の陰に向けてシフトするこの期間は、

思っている以上に、身体に負担が大きいらしい。

そして、夏の疲れがでて

お腹に炎症が起きやすいので労った方がいい、

そんなタイミングでもあるらしい。

(村上百代著「二十四節気に合わせ心と体を美しく整える」参照)

 

相変わらず、満腹になるまで食べてるけど、

まあしばらくは、

思い立ったが吉日だし

よくわからないなりに「腹八分目」心がけてみます。

よく噛めばいいんだなきっと。(適当)

 

街を歩いていると、

道の傍らに猫じゃらしがそよいでいて、

「あっ、こんなところに秋の気配」とうれしくなったここ一週間。

 

からだと、自然と、こよみ。

夏まっさかりだけど、どこか秋。

そんなことを感じながら、7月終わりの週の始まり。

 

カラダとわたしと「全体性」

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うーん、髪が伸びた。

春に髪を切って、今はショート寄りの長さのわたし。

マッシュボブともいうのかなこれ。

しかし、

もともとくせ毛なこともあり、

この時期は油断すると、すぐブロッコリー化する。

キノコ頭なんて、まだかわいいほうだ!

 

ところで、

身体(からだ)のことを考えるとき、

わたしたちは

「頭がいたい」とか

「肩がこってる」とか

「足がむくみ気味」とか

はたまた

「鼻水止まらない!」とか

「髪がまとまらない…」とか

「なんかだるいな〜、やる気でない」とか

さまざまな思考を走らせる。

精神的なものをはじめ、全身状況に対する思考もあるけれど、

こうして書くと、ある特定の部位にフォーカスしている思考も多いなあと。

 

ここ数日、寝る前のストレッチやヨガを再開した。

「今日はここがかたいんだな」

「お腹が張ってる、食べ過ぎたかもなー」

「昨日よりよく伸びてて、いい感じ!」

てな具合に、様子を見ながら(味わいながら)

疲れた身体をほぐしていく。

 

わたしは、耳鳴りや頭痛がすると、

どうしてもその症状ばかりに気を取られがちなのだけれど、

今の自分の身体とその重力の感じ方や、

地面への身の預け方・動き具合などに意識を向けると、

身体とは全体であり、

わたしの全体とはすなわち身体なんだな、

と実感する。

 

「わたし」というこころを一身に預かっている、

器としての身体。

「どこここが痛い」という観点だけでなく、

「いまわたしの身体はどんなコンディションなのか」を味わいながら、トータルで読み解くこと。

それが、自分の身体をマネジメントする司令塔としての自分自身が、大切にしないといけないポイントなんだなあと今更ながら。

 

小さなことひとつひとつにこまごま意識を払うことが

大切なときもあるけれど、

「全体性」を常に感じ、

そのつながりを味わえる、

そんな人間でありたいと思う。

 

風邪ひけた。

image

風邪をひいた。

この秋冬シーズンで、始めてひいたな〜。

むしろ、もう春なのにここでひくとは!

やられたな〜。(でこぽん)

 

といっても、大した症状ではなく

少しの扁桃炎と少しの鼻水と少しの熱っぽさ。

体質上時折訪れる、耳まわりゆかりの頭痛やめまい系具合の悪さに比べれば、楽なもんだ。

 

今回、喉のイガイガや、鼻水が出てきたときに

まず感じたこと。

それは、

 

風邪をひけたー(ガッツポーズ)

やった!風邪ひいたー(バンザイ)

 

という謎の喜び。安堵感とでもいうのか。

なぜなら、

とくに年始からはやるべきこと(仕事)が立て込んでてずっと気が張っていて、

ちょっとぐらい体調悪くても、どうにかしなくちゃなと出勤し続けて、

相変わらずやることはてんこ盛りだけど「まあなんとかなるかな」ぐらいには落ち着いて。

 

その矢先。

少しゆるんだところに、するりと風邪菌。

 

鼻をチーーンとかみながら、

ずっとずっと忙しく働いていたのを知っている母と、

「本当、からだはうまくできてるねえ」

としみじみ話す。

 

今回は

風邪、治さなきゃ!という気持ちがみじんもなく、

久しぶりの分かりやすく「弱っている」感覚を楽しんでいる。

ぐずぐず。

むずむず。

もぞもぞ。

ごろごろ。

これもまたひとつの春の兆しのような気がしてくるから、面白いもんだね。

啓蟄を体で表しているような気分になってくる。

そう、わたしは地中でうずうずする虫なのだ。

 

あー、ちゃんと緩むことができて、よかった。

なにも言わずにがんばっているからだに、感謝。

 

やせの筋肉質(ただしやせ寄り)

women

食べ物のおいしい季節。

ならば、自分もおいしい身体にならなくちゃね!ぷり尻ゴーゴー!

といういつものごとくよくわからない発想で、この10月から新たなジム通い開始。

今まで、いわゆるダンス系ヨガ系プログラムしか受けたことがなく、

基本的にマシンには見向きもしない人間なのですが。

30代もたけなわ、そろそろ意識的に筋力を付けておきたいなと、

心機一転、あえてマシンしかおいていないジムに通い始めてみた。続くのか。

 

入会初日は、先ずはじめに、身体測定。

わたしは、一言でいうと「やせの筋肉質(ただしやせ寄り)」らしい。

まだちょっとは筋肉残っているのね。安堵。

マッチョなお兄さんが次から次へとマシンの使い方を説明してくれて、

お兄さんの見本動作ののち、見よう見まねでやってみる。

「そうそう、いいですね〜」(親指)(たまに両手)と、満面の笑顔で励ましてくださる。

ありがたいんだけれど、案の定、途中から飽きてくるわたし。笑

初日は大したワークアウトもせず、さっさとお風呂で羽を伸ばすの巻。

 

少し身体を動かしたあとのお風呂って本当きもちいいな〜

たぶん、お風呂目当てに続きそう。

それにしても、チェックインをした後にジムエリアに行かないで、

そのままお風呂にだけ入って帰った場合は、

その動きはフロントにばれるのかしら・・・

とか早速考えているあたりが、やっぱりなまけものなんだろう。

ひとまず、お兄さんと「やせの筋肉質(筋肉質寄り)」を目指して

1ヶ月後だったか3ヶ月後だったかをめどに、今より5%筋肉量を増やす

ことになったので、有言実行、がんばります。

 

今日のひとこと:

ぷり尻って、英語でなんて言うのかなあ。
(めずらしく、本当にひとこと。)